(1)「哲学」の始まり

(2)「哲学」の始まり~哲学は死の練習

(3)「哲学」の始まり~共産主義思想との出会い

(4)「哲学」の始まり~共産主義、しかし心は渇く

(5)「哲学」の始まり~神を信じたくて泣いた友人

(6)「哲学」の始まり~祖母への涙に驚く自分

(7)「哲学」の始まり~統一原理が分からない。しかし・・・

(8)「哲学」の始まり~深まる「絶望」。その果てに

(9)「哲学」の始まり~神との出会い―悲しみに襲われる

(10) 神との出会い~「さとり」の哲学的理解

(11) 神を「知る」ということ~直感の大切さ

(12) 神を「知る」ということ~悟性、理性段階から始める

(13) 神を「知る」ということ~「神と被造世界」は心と体の関係

(14) 神を「知る」ということ~人間と動物の違いは「同じ」であることの理解度

(15) 神を「知る」ということ~「同じ」を理解する意識は、唯一神に向かう

(16) 神を「知る」ということ~「同じ」の理解度と人間の成長

(17) 神を「知る」ということ~イエス・キリストの「戒め」の意味

(18) 神を「知る」ということ~直感と共鳴

(19) 善について~偉大なソクラテスの問い

(20) 善について~心砕く「偽善者」の呼称

(21) 善について~ソクラテスは定義せず

(22) 善について~プラトンのイデア論とその背景

(23) 善について~師を否定したアリストテレス

(24) 善について~衝撃の「四位基台」

(25) 善について~神と共に生きている経験

(26) 善について~心の清い人は神を見る

(27) 善について~神を知る「純粋経験」

(28) 善について~純粋経験と四位基台

(29) 善について~悲しくないのに涙が

(30) 善について~純粋経験を大切に

(31) 本体論入門~神についての考え方

(32) 本体論入門~再評価されているスピノザ

(33) 本体論入門~「神は無限である」の意味

(34) 本体論入門~私と共にある神。いつも、どんな時でも

(35) 本体論入門~存在からその関係性へ

(36) 本体論入門~特別編①「清平」役事について

(37) 本体論入門~特別編② 芸術的感動と清平役事

(38) 本体論入門~特別編③ 清平体験「私はここにいる」

(39) 関係性の哲学~「置かれた場所で咲きなさい」

(40) 関係性の哲学~巨人・ハイデガーの存在論

(41) 関係性の哲学~信仰と哲学の調和を求めたハイデガー

(42) 関係性の哲学~死への「不安」が本来性への契機

(43) 関係性の哲学~死への「不安」は良心の声

(44) 関係性の哲学~「死への投企」で見えてくるもの

(45) 関係性の哲学~「死への投企」と良心の力

(46) 関係性の哲学~実存主義としてのハイデガーとサルトル

(47) 関係性の哲学~釈尊の「無」の哲学

(48) 関係性の哲学~四位基台哲学の展開

(49) 関係性の哲学~統一原理の位置付け

(50) 関係性の哲学~「統一」の深い意味

(51) 関係性の哲学~真の統一とは

(52) 関係性の哲学~全てを支配する「統一力」

(53) 関係性の哲学~万有原力とは根源的「統一力」

(54) 関係性の哲学~文鮮明先生「自叙伝」に描かれた一つの世界

(55) 関係性の哲学~統一の原理と現実の人間

(56) 関係性の哲学~愛するということ

(57) 関係性の哲学~イエスの愛のいましめとは

(58) 関係性の哲学~まず神を愛せよ

(59) 関係性の哲学~「無知の自覚」と神との出会い

(60) 真の愛によってのみ心身が一つになる

(61) 自由について

(62) 自由の真意義とは

(63) スピノザの「エチカ(倫理)」と自由

(64) 神は自由に干渉されない

(65) LIBERTYとFREEDOMについて

(66) 平和の中に自由がある

(67) 平和の中に自由がある

(68) 観念から実感へ~共に生きる神を知る

(69) 有神・無神論の対立、唯心・唯物論の対立を超える

(70) 響き合う東洋と西洋

(71) 痛烈な「選民」批判

(72) 共産主義者に流れる宗教批判

(73) イエス・キリストは理想の賢者

(74) バローゾ氏、スピノザの「平和」定義を紹介

(75) 侍義信仰の懸け橋に

(76) スピノザの限界は哲学の限界

(77) コロナ禍世界の哲学(1) 「世界秩序を永遠に変える」

(78) コロナ禍世界の哲学(2) 資本主義原則の限界説

(79) コロナ禍世界の哲学(3) なぜ「人新世の『資本論』」なのか?

(80) コロナ禍世界の哲学(4) 脱成長に転換した晩年のマルクスを賛美?

(81) コロナ禍世界の哲学(5) まとめ~斎藤幸平氏の晩年マルクス論について

(82) コロナ禍世界の哲学(6) マルクス・ガブリエルの哲学

(83) コロナ禍世界の哲学(7) 倫理資本主義の提言

(84) コロナ禍世界の哲学(8) ウェーバーの倫理資本主義

(85) コロナ禍世界の哲学(9)「新しい資本主義」と倫理資本主義

(86) コロナ禍世界の哲学(10) 文鮮明師のメッセージと倫理資本主義

(87) 希望の哲学(1) 人間の限界

(88) 希望の哲学(2) 私たちの希望とは

(89) 希望の哲学(3) まず足場(居場所)を固めよう

(90) 一つになっているものは見えない

(91) わたしの居場所は「父のうち」である

(92) 人間・森羅万象に神が宿る

(93) 自分を信じるということ

(94) 体は心に、そして神につながっている

(95) 神を感じて善を目指す

(96) 神を信じることと感じることの違い

(97)「懺悔」という自己否定

(98) 生きた神様が働くとき

(99) 哲学者の原型~不知の自覚

(100) ソクラテスとキルケゴール

(101) キルケゴールとマルクス

(102) 私の絶望体験とキルケゴール

(103) 共産主義との出合いと絶望

(104) 信仰生活と絶望

(105) 倫理的実存と絶望

(106) 信仰者の絶望とは

(107) 絶望は神の恩賜だった

(108)「死ぬこと」の意味について

(109) 宗教的実存の体験

(110) 宗教的実存として過ごした「清平」

(111)「今、君を迎えに行こう」

(112) 哲学と信仰、共に生死に直面する

(113)「常在戦場」

(114) 利害を超えた愛の世界とは

(115) ささやかな私の体験

(116) 人間の解放とは

(117) 最近驚いたこと

(118) 悔いること(でも、仕方ないこと)

(119) 眉間の傷と恐怖心

(120) 命をささげる祈り

(121) 心の奥底から湧きいずる力

(122) 鍛錬された覚悟

(123) 吉田松陰の遺書「留魂録」と人生の四季

(124) 真の人とは

(125) 人間は神と離れては生きられない

(126) 私は「どこにいるのか」

(127) 神はどこにいらっしゃるのか

(128) 再び、神はどこにいらっしゃるのか

(129) 新渡戸稲造との出会い

(130) 西田幾多郎が関わった神

(131) 神に侍るとは

(132) 真の宗教とは

(133) 存在の法則・原理について

(134) 何があっても希望は揺るがない