信仰と「哲学」15
神を「知る」ということ~「同じ」を理解する意識は、唯一神に向かう

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 養老氏(養老孟司・東大名誉教授)の「哲学」の紹介を続けます。

 「動物の意識には『=』はない」というのですが、「a=bならばb=aである」、これが動物には分からない、ということです。
 これは数学で「交換の法則」といいますが、人間であれば当たり前のことです。
 しかし、動物は交換を理解しないというのです。
 「ネコがキュウリをくわえて、サルがウサギの死んだのを拾ってきて、あそこの市場で交換していた。そういう状況を見たことがありますか」と養老氏は述べています。
 確かにそんな場面見たことがありません。

 この「交換」が理解できることによって、さらにイコールを重ねることができるようになります。これを「等価交換」といい、そのための道具がお金だ、というのです。お金を使うとあらゆる商品がお金を介して交換可能になります。「経済」の誕生です。

 動物にはこれが理解できないといいます。例えば、飼っている犬に一万円札を見せると、せいぜい匂いをかぎ、食べられないと分かればそっぽ向く。「これを昔の人は『猫に小判』と言った」のですが、要するに動物は「イコール」を理解できないのです。

 養老氏はさらに、この「同じ」を理解する意識のゴールは唯一神に至ると指摘しています。

 <同じを繰り返すことによって、感覚所与(人の感覚器〈目や耳や口など〉に入ってくる第1次印象のこと。代表的な例として目に入る光、耳に入る音のこと)の世界から離脱し、一神教にいたることが可能になる>

 私たちは、無限にも多様と言える感覚所与の世界で生きていますが、そこから、「同じ」という手続きを繰り返すことによって、より高い「同じ」の概念をつくり出します。こうして人間の意識は、ピラミッドの頂上に、全てを含んだ「唯一の存在」を構成するようになるというのです。

 例えば、「バナナ、ブドウ、リンゴ・・・」などは果物としてまとめられ、「なす、トマト、カブ・・・」などは野菜としてまとめられます。そして「コメ、麦、大豆・・・」などは穀物としてまとめられます。ここで、果物、野菜、穀物の「同じ」をまとめれば「食べ物」という概念で表現することができるのです。このように、「同じ」を一回使うごとに、階段を一つ上がるのです。

 感覚所与の世界を表す最大の概念は「存在」です。その頂点には、宇宙の具体的な事物の全てを含んだ、唯一のものが位置している。人間の意識が唯一神に向かうのは必然(本性)ということになるのです。(続く)