信仰と「哲学」14
神を「知る」ということ~人間と動物の違いは「同じ」であることの理解度

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 『原理講論』では、人間と他の被造物との違いについて次のように説明されています。

 「被造物はすべて、無形の主体としていまし給う神の二性性相に似た実体に分立された、神の実体対象であることが分かった。このような実体対象を、我々は個性真理体と称する。人間は神の形象的な実体対象であるので、形象的個性真理体といい、人間以外の被造物は、象徴的な実体対象であるために、それらを象徴的個性真理体という」(創造原理 第一節 神の二性性相と被造世界(二)神と被造世界との関係)

 ここで「形象的」「象徴的」という表現が出てきます。
 前者は、形そのままに、という意味であり、後者は部分的な特徴を現して、という意味になります。
 「人間は神の形象的な実体対象である」との表現は、「神は自分のかたちに人を創造された」(聖書 創世記 第2 17節)ということです。「かたち」には無形、有形のいずれも含まれていることになります。

 人間と他の被造物との違いについて考えてみたいと思います。
 「他の被造物」といっても、範囲が広がり過ぎるので、ここでは端的に、人間と動物との違いに焦点を絞ろうと思います。「通説」となっているものを挙げるだけでも、以下のようになります。

 「ヒトだけが直立二足歩行できる」「ヒトだけが道具を作り出し、使える」「ヒトだけが火を使用できる」「ヒトだけが服を作り、それを着用することができる」「ヒトだけが理性を備えている」「ヒトだけが死の概念(抽象概念)をもっている」「ヒトだけが同種間で大量殺戮を行う」「ヒトだけが言語によるコミュニケーションができる」「ヒトだけが農耕・牧畜を行う」「ヒトだけが(繁殖を伴わない)快楽目的に性交できる」「ヒトだけが特に優れた脳を持っている」などです。

 哲学的には、人間の意識作用としての「理性」が強調されてきました。文化人類学者のレヴィ=ストロース(19082009)は、「交換」ができる能力を強調しています。

 人間が神の「形象的な実体対象である」ということの意味を理解することは、神を知り、正しい関係を結ぶために重要なことであるはずなのです。

 養老孟司東大名誉教授が昨年(2017年)11月、『遺言。』を上梓されました。養老氏といえば、2003年に出版された『バカの壁』が約400万部を超えるベストセラーとなっています。

 『遺言。』は、半月の船旅の間、これまで考えてきたこと、言い残したことを記したものと、ご自身で説明しています。内容は、人間と動物の違いであり、人間と動物の意識の違いなのです。結論は「動物の意識にイコール『=』はない」ということだといいます。「同じ」の理解度が全く違うというのです。(続く)