信仰と「哲学」8
「哲学」の始まり~深まる「絶望」。その果てに

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 「教会の人たちの方が共産主義の同志たちより、きっと良い社会をつくるに違いない」という「直観」。それに支えられながら、礼拝や小さな集会などに参加していました。
 「この人は統一原理を全く理解していないのに、どうして通って来るのか」とうわさされていたのかもしれません。とにかく、それまで学内で付き合っていた「友人」たちとは違う質の会話などの触れ合いができるので、それがうれしかったのです。

 兵庫県宝塚市にある修練所で14日間の特別研修会に参加した後、それまでの下宿(叔父さんから紹介されたHさん宅)を出て、教会での共同生活をしながら大学に通うことになりました。

 叔父さんにしっかりと相談したわけでもなく、両親にしっかりと許可を得たわけでもない状態で行動してしまったのです。
 叔父さんも両親も本当に心配したと思います。でもその頃の私は、自分のことしか考えられない人間でした。自分の取った行動が、ほかの人にどのような影響を与えることになるのかなど、真剣に考えられるような心の広さはありませんでした。本当に自己中心的な人間だったのです。

 心配した両親が教会まで訪ねてきたり、統一原理を聞いてくれたりしたのですが、仕事を休んで、わざわざ時間を取る、それがどれほど大変なことだったのか思いやることなど、当時の自分にはありませんでした。とにかく「生きる価値」「生きる意義」「価値ある生き方」をつかもうとする気持ちでした。

 相変わらず大学は、バリケードで封鎖されたり、時々は解除されたりの繰り返しでしたので、思い切って神奈川県厚木市にある修練所で行われる40日修練会に参加することにしました。
 100人前後の参加者だったと思います。講師はS先生でした。朝の起床時間は決まっていましたが、一日のスケジュールが終わった後、参加者の多くが就寝前の祈りをして休むので、就寝時間が決まっていたわけではありませんでした。

 統一原理が分からない自分、神様が分からない自分でしたので、修練会が始まった頃は祈りもせずに就寝していました。そんな日が1週間から10日間続いたと思います。次第にこのままではいけない、何の変化もないという思い、焦るような思いに駆られてくるようになりました。そして、それほど強い決意や覚悟をもって臨んだわけではないのですが、祈ってみようと思いました。

 夜9時過ぎごろからだったと思いますが、修練所の玄関の前にある柿の木(だったと記憶しています)の周りが「聖地」になっており、みんながそこで祈るのです。祈り始めたのですが、当然すらすらと言葉が出てくるわけではありません。祈っていた人が一人去り、二人去り、最後に自分一人になっていました。

 心に湧いてくる思いは、神様のことではありません。ただただ、「生きることが苦しい」、変わらない自分に対する「絶望」でした。自分にはもはや何もないし、何もできない・・・・・・。その時、今まで感じたことのない「悲しみ」「悲哀」が自分の全存在を覆い尽くしました。そして、とめどもなく涙が流れてきたのです。(続く)