信仰と「哲学」48
関係性の哲学~四位基台哲学の展開

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 哲学と宗教は、人間としていかに生きるべきか、を問うています。

 哲学においては存在を実体として扱う場合と、存在の在り方を扱う場合とがあります。統一原理では存在の在り方に関する概念を「存在様相」と呼んでいます。その核心となる哲学が関係性の原理であり、「四位基台」哲学なのです。

 存在様相を前提に人間がどのようにあるべきか、生きるべきかを提示するにおいて、実存哲学では人間=「現存在」は実存である、すなわち存在の在り方を変化させることができる「可能性」を持つ存在であることを強調し、主体としてその可能性を前提に未来に向けて「投企」することの重要性を強調します。

 釈尊は、全ての存在の関係性を前提に、森羅万象の実相として「諸行無常」「諸法無我」の知を体恤(たいじゅつ)すべきことを強調したのです。諸行無常、諸法無我が真理であるとしても、そこには「何か全てが空しい…」という虚無主義に通じるような響きがあります。

 しかし、その捉え方はある意味、正しくないと思います。全ての存在が関係性からなっているとすれば、私がどのように「他者」(人間も自然なども含む)に関わるかによって、今がたとえどのように困難な状況であったとしても変化させることができるという、希望のメッセージとしての要素でもあるわけです。「実存主義哲学」といえるでしょう。

 これから、四位基台哲学を「存在様相」としての側面を中心に説明していきたいと思います。四位基台哲学は繰り返しになりますが、統一原理の核心中の核心であり、生活の一コマ一コマと関わる哲学です。

 文鮮明先生のメッセージを紹介します。

 「私たちが眠りから目覚めて目を開ければ、目の前に広がった万象が見えます。見えるその万象を通して、何か分からない間接的な印象を受け、その反応する感覚で生活における感覚を高めていくのです。私たちの周辺にある極めて微小なものでも、必ず私たちと関係が結ばれています。私たちが無視しても、その微小なものはその日その日、天倫の理念に従って存在の価値を表し、人間と関係を結んでいるというのです。なぜでしょうか。極めて小さい存在から、万物を主管できる万物の霊長である人間に至るまで、その存在目的を中心と見れば、神様の大宇宙の理念に通じる愛の理念圏内に入っているからです」(『天聖経』658ページ 「第六篇 真の万物」より)