信仰と「哲学」74
関係性の哲学~スピノザの哲学に対する見解(8)

バローゾ氏、スピノザの「平和」定義を紹介

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 韓国・清心平和ワールドセンターで「神統一韓国安着のためのシンクタンク2022出帆希望前進大会」が開催されました。

 招待された基調演説者の一人であるジョゼ・マヌエル・バローゾ元欧州委員会委員長(2004~2014)が平和について語り、スピノザの言葉を紹介しました。

 「著名な哲学者スピノザは『平和とは戦争がない状態をいうのではない、平和な状態とは徳のあることであり、心の安定であり、親切な行為であり、信頼と正義があることである』と述べている」とバローゾ氏は語りました。

 この言葉は、『エチカ』や『神学・政治論』から「平和」に関する部分を要約したものと思います。

▲ジョゼ・マヌエル・バローゾ元欧州委員会委員長

 最も重要な文言は「心の安定」です。
 人生はまさに「山あり谷あり」。順風満帆と言える状況も、空中を漂うシャボン玉のようなものと言えるかもしれません。
 「心の安定」は何よりもまず、宇宙の根本である神をどのような存在として理解するのか、つかむのか、ということと直結する問題です。すなわち、根本とつながっていなければ不安定になるということです。

 言い換えれば、つながっていれば自由(心の安定が伴う)ですし、そうでなければ投げ出された、たださまようだけの不安定な存在、そしてそこから来る不安と恐怖にとらわれる不自由な存在となるのです。スピノザはこのように考えました。

 宇宙の根本である神をどのようにとらえるべきかについて西田幾多郎は次のように述べています。

 「神とはこの宇宙の根本をいうのである。上に述べたように、余は神を宇宙の外に超越せる造物主とは見ずして、直ちにこの実在の根柢と考えるのである」(『善の研究』第三章 神より)

 西田とスピノザは神について同じ内容を述べていることが分かります。
 共に「神を宇宙の外に超越せる造物主」とは見ていません。神は「実在の根と考える」と述べていますが、スピノザの「すべて在るものは神のうちに在る」(『エチカ』)との「定理」に一致するのです。

 「神のうちに在る」との言葉は聖書の中に出てきます。
 以下はイエスの言葉です。

 「わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい」(ヨハネによる福音書14章8節~11節「新日本聖書刊行会 聖書 新改訳2017」)

 イエスのこの言葉はイエスがキリストだから言える言葉であり、罪人には関係ないと捉えるのか、「後のアダム」、すなわち罪なき人間としてのイエスとして、本来の人間はかくあるべきであるとの意味を込めて語られたと見るかによって解釈が違ってきます。
もちろん後者と捉えるべきなのです。