信仰と「哲学」53
関係性の哲学~万有原力とは根源的「統一力」

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 『原理講論』には、「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる」(『原理講論』47頁)とあります。

 ここで「中和的主体」という概念の持つ意味は根本的な「統一体」という意味になります。韓鶴子総裁が近年、強調しておられる内容です。
 そして神ご自身がこのような「統一体」として自存するための「統一力」の存在を認めることができるのです。

 『原理講論』には次のようにあります。
 「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。したがって、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ」(同、50頁)

 神は創造主です。そしてこの世界は被造世界です。しかし神と被造世界との関係は、すでに述べたように心と体のような関係です。創った存在と創られた存在、例えば作者と作品は空間的に分けられるのですが、心と体とを空間的に分けることはできません。

 「自存する絶対的なもの」という概念についても考えてみましょう。
 「自存」は「自力で存在すること」(三省堂『大辞林』)とあります。

 デカルトは自存するものが実体であるとしました。実体とは、自存するもの、すなわちそれ自身で存在し他物を必要としないものを言います。精神と物体がそれであるとしました。しかしそれでは両者はどういう関係なのかという疑問が出てくることとなってしまいました。

 スピノザは、実体は一つしかなく、それは神であるとしました。主著である『エチカ』の冒頭、「自己原因とは、その本質が存在をふくもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する」(『エチカ』岩波文庫41頁)と述べています。

 そして、自存者、すなわち実体であられる神がこのような存在としておられるための根本的な力を「万有原力」と言い、それはさらに被造物が存在するための全ての力を発生せしめる力の根本となる、と記されています。
 これが全ての存在を支配する「統一力」と言えるでしょう。「万有原力」とは根源的「統一力」とみることができます。