信仰と「哲学」122
神と私(6)
鍛錬された覚悟

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。

 安倍晋三元総理が亡くなってからもうすぐ1年になります。事件を思うたびに悲哀に包まれます。

 生まれ育った環境、特に家庭環境がその人の思想・哲学に大きな影響を与えるといわれます。
 祖父・岸信介、父・安倍晋太郎の生きざまに肌で触れることなくして政治家・安倍晋三はなかったことは確かです。

 しかしそれだけではないだろう、とも思います。不世出の優れた保守政治家、一方、左派から見れば最悪の政治家・安倍晋三を形成した「鍛錬」の要素は、強調されなければならないと思うのです。

 中学生時代に罹患(りかん)したという潰瘍性大腸炎は本人の秘められた能力の発現を遮ります。
 それでも本人の能力や努力、そして機会を得て総理大臣となりますが、1年で辞任。2年後の政権交代、自民党の下野をもたらした張本人のように批判されました。メディアには「2世議員のひ弱さ」などの言葉が躍ったのです。

 今年に入り、安倍氏をよく知る人と会食する機会がありました。総理を辞職した後の逸話を紹介してくれました。

 地元に帰る飛行機内でのこと、一人の乗客がCA(客室乗務員)に話しかけたというのです。「あの人(安倍氏のこと)と一緒の空気を吸いたくないので、席を変えてもらいたい」と。CAがどのように対応したのかについての説明は、ショックで覚えていませんが(話してくれたとは思うのですが)、安倍氏にわざと聞こえるように乗客は話したといいます。ご本人から直接聞いた話だというのです。

 菅義偉元総理が、安倍氏の死去の報を受け、「もっと一緒に同じ空気を吸っていたかった」と語られたことを覚えていますが、関連があるのかもしれません。

 その時の安倍氏の心を思うと、どれほどつらかっただろうかと胸が締め付けられます。
 そのような「地獄」から這(は)い上がり、再び国政を担うようになった安倍氏には、もはや自分を守るための思いや恐れはなくなっていたのだろうと思わされます。
 それが鍛錬です。不純物が取り除かれるのです。

 もちろん覚悟がなければ、はっきりとした志を持っていなければ再起などできません。
 完全な人間などいません。しかし「自分の名誉や体のことなんて構ってはいられない」との情熱、政治家・安倍氏の本質は鍛錬で純化されたものであると思います。

 安倍氏の2度目の総裁選出馬の前、昭恵夫人は「やめた方がいいのでは」と進言したといいます。
 その時安倍氏は厳然として以下のように言ったといいます。

 「今日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題にしても、北方領土問題にしても、政治家としてこのまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。俺は、出るよ。もし今回失敗しても、俺はまた次の総裁選に出馬するよ。また負ければ、また次に挑戦するよ。俺は、自分の名誉や体のことなんて構っていられない。国のために俺は戦い続けるよ」(『安倍晋三・昭恵 35年の春夏秋冬』より)

 国を担う覚悟を持って再び立ち上がった安倍氏には鍛錬を経た、「武器(情熱と判断力)」が備わっていたのです。