信仰と「哲学」123
神と私(7)
吉田松陰の遺書「留魂録」と人生の四季

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。

 幕末の長州藩の思想家・吉田松陰は、その生涯が30歳と短かったにもかかわらず、多くの著書を残しています。しかし単なる筆舌の人ではなく、実行の人でした。

 松下村塾で指導を受けた高杉晋作ら門弟たちは、処刑場の露と消えた松陰の魂に触発されて倒幕へとかじを切り、明治維新という偉業を達成しました。
 吉田松陰は人を啓蒙し動かす途方もない「力」を備えた人物だったのです。
 その「力」をどのように理解すべきなのでしょうか。

 2022711日、安倍晋三元総理の通夜、そして翌日の告別式は東京都港区芝にある増上寺で行われました。
 昭恵夫人は、喪主として参席されたかたがたに対して、吉田松陰が生前獄中で記した遺書「留魂録(りゅうこんろく)」の一節を引用して、以下のように語りました。

 「10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは首相目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。

 主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」(日本経済新聞より)

▲吉田松陰像(山口県文書館蔵/ウィキペディアより)

 「留魂録」において人生の四季に触れたこの箇所は、死を覚悟したことにより、心はとても穏やかになったとし、穏やかになったのは四季の移ろいということを考えたからであると記しています。これが「力」の背景です。

 松陰は次のように述べています(現代風に意訳してみます)。

 稲作を見れば、春に種をまき、夏には苗を田に植え、秋になると実りを刈り取って冬の間は蓄えます。収穫の時に臨んで、その年の労働が終わってしまうと悲しむ者がいるでしょうか。

 私は今、30だが何一つなし得ずに死を迎えます。その姿はまだ穂を実らせていない稲のように人の目には映るかもしれません。しかし私自身について言えば、今こそが花咲き、実を結んだまさにその季節なのです。悲しむ必要はありません。

 人の寿命はまちまちであって、稲の四季とは違います。
 10歳で死ぬ者は10歳という歳月の中で春夏秋冬を経験し、20歳で死んでいく者は春夏秋冬を20回経験します。30歳で死んでいく者には、30回の春夏秋冬が訪れるのです。50歳、100歳の者も同様です。

 私は30歳です。春夏秋冬は既に体験しており、幾度も花を付け、実を付けています。ただしその実がもみ殻なのか粟なのかは、私自身には分かりません。

 もし同志諸友が、ささやかな私の志を哀れんでくれて、継承してくれる者がいる限り、その種は先々まで絶えることなく生き続け、見事な稲穂を実らせるはずなのです。このことを熟考してほしいのです。

 吉田松陰の言葉は、死を覚悟した、すなわち自分というものがない、不純物のない心から発したものでした。
 それが「力」の源泉だったのです。