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信仰と「哲学」120
神と私(4)
命をささげる祈り

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。

 「恐れないこと」をテーマにしたある文庫本に載っていた体験談です。

 著者の夫人が重い病にかかったのです。夫人を診察した医師から「覚悟をしておいてください」と言われたといいます。
 その「宣告」を受けた瞬間、著者がとっさに考えたのは小さな子供のことでした。

 子供には母親が絶対に必要。まだ小さいのに大切な母親を失うことを考えると、不憫(ふびん)でならず、その時「さすがの私も祈った」というのです。
 そして心の中で叫んだといいます。
 「私の命をやるから、妻を助けてほしい!」と。
 私の命などどうでもいいから、とにかく夫人の命を助けてほしかったというのです。

 ここまで読んで私は恥じ入りました。同じような体験が私にもあったのです。しかし私は、「私の命をやるから、妻を助けてほしい!」という祈りはしませんでした。

 30歳の時でした。妻ががんにかかり、担当医からは「再発の可能性は高い」と言われました。
 その時、子供が二人いました。二人とも「幼児」でした。その時の思いは、信仰の歩みにおいて大きな試練、越えなければならない峠は必ずある。この時がそうだ、との思いでした。

 それを甘受します、との祈りはしました。しかし「私の命をやるから、妻を助けてほしい」とは祈れていませんでした。

 「そこまでの祈りにならなかったことに負い目を感じる必要はないのでは」との意見もあると思いますが、本心の奥底には「恐怖」があり、明らかに「祈れなかった」自分がいたのです。

 私一人で子育てしながら仕事をすることが難しかったため、私は実家に二人の子供をしばらく預けることにしたのです。
 長女は3歳、長男は1歳でした。子供たちは、何がどうなっているのか理解することもできない年齢でした。

 実家に預けて、妻の所に帰るその車中、涙がこぼれ長くつらい時間を魂に刻むこととなりました。

 数年後、当時の子供たちの様子を私の母(すでに他界)から聞いて涙しました。

 実家に子供たちを預けに行った時、私の兄の長女は私の子供たちよりも少し年上でしたので、二人をあやすように遊んでくれていました。
 私はしばらくして、両親に感謝を伝え、子供たちには何も告げずに、そっと抜け出すようにして実家を後にしたのです。

 長女はその後、事の成り行き(親がいなくなったこと)を知り、火が付いたように大声で泣き続けたといいます。あやしてくれていた姪(めい)もどうしていいか分からず泣いたといいます。

 2カ月後くらいだったと思います。妻と一緒に二人を迎えに実家に行きました。
 長女が妻の顔を見た時、また突然大声で泣き出し、しばらく泣きやみませんでした。「なぜ私を置いていったのか」との抗議の思い(理性的に考えているとは思いませんが…)が爆発したのでしょう。

 無我夢中で走り過ぎた時期のつらい思い出です。
 幸い妻はがんが再発することもなく、現在も健在です。お互い高齢になりましたが、互いの命を思いやりながら日々を過ごしています。