信仰と「哲学」60
関係性の哲学~真の愛によってのみ心身が一つになる

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 私の信仰生活の中で、理解できそうで理解できず、ぐるぐると思考だけが空回りしていたみ言があります。

 それは、「真の愛によって心身が一つになる」という内容でした。

 断食や荒行などにより心身が一つになる、ということではないのです。「真の愛による」ということの意味がどうしてもつかめなかったのです。

▲文鮮明師

 文鮮明師は最も重要な信仰生活基準として繰り返し語っておられたことは「自己主管」です。

 「『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』――これは、その頃の私の座右の銘です。まず心身を鍛錬してこそ、次には国を救い、世の中を救う力も持てる、という意味です」(光言社文庫版、自叙伝増補版『平和を愛する世界人として』70ページ)とあります。

 文鮮明師の語る「自己主管」とは「体と心の統一圏」、すなわち心身一体圏を意味します。さらに以下のようにも語っておられます。

 「心も重要で、体も重要です。より重要なことは、『私』の体と心の統一圏です。それが重要です。それが形成されていない人は、いくら世界が統一されたとしても不幸な人なのです。統一された世界で不幸な闘いをする自分自身は、その世界に吸収、消化されません。反発を受けるのです。追放されるというのです。ですから、世界の統一に先立ち、新しい世界の理想的ビジョンを成就する前に、私自身がそれを受けて消化し、和合できる自分を発見できなければならないのです」(天一国経典『天聖経』385ページ)

 既存の宗教と心身一体圏について、次のように述べています。

 「すべての宗教は、自らの体を打つ道を教えてきました。宗教は、肉欲を抑制し、体を心に屈服させる道場なのです。宗教は、人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。しかし、神様を自分の中に迎え入れなければ、自らの体を征服する者は誰もいません。ただ神様の真の愛と真理の力を中心として、主体の心は対象を従わせ、神様と一体理想を成し遂げるようになっているのです。これが宗教の語る完成した人間です」(同384ページ)

 宗教でいう修行とは、教義の学びと共に断食などの苦行など、基本的には体を心に屈服させる訓練、修練です。しかしそれだけでは心身一体圏を体得することはできないというのです。

 「神様を自分の中に迎え入れなければ、自らの体を征服する者は誰もいません」と断言されます。すなわち「神様を自分の中に迎え入れる」ことが、真の愛と一体となる時であり、その時初めて心身一体圏が実現するというのです。

 清平での体験によって実感的に理解できた内容でした。