信仰と「哲学」4
「哲学」の始まり~共産主義、しかし心は渇く

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 私はN大学に入学しました。下宿先は叔父さん(母の弟)に世話してもらった所でした。叔父さんは当時、N県警の機動隊副隊長。大学受験はその家に泊まって試験場まで行ったのです。

 叔父さんは左翼過激派による新宿騒乱事件などに機動隊を率いて対応していました。いつの時は分かりませんが、胸を覆う金属を着けていたにもかかわらず、彼らが投げたレンガ(道路に敷かれていた)が当たってろっ骨を折ったと聞いたことがあります。

 そんな叔父さんに世話になりながらも、共産主義に感化された私の大学生活が始まったのです。共産主義について叔父さんと話したことはありません。私のことは分かっていたと思いますが、非難されたことはありませんでした。麻疹(はしか)みたいなもの、と思ってくれていたのかもしれません。

 そんな「恩人」も4年前の12月、寒い朝に犬にせがまれて散歩に出た先で、心臓まひで亡くなってしまいました。何の恩返しもできていません。

 同じ学年に山形県出身のY君がいました。非常に熱心な民主青年同盟員でした。AO研(安保沖縄研究会)を立ち上げたので、参加してほしいと言われ、誘われるままに一緒に行動するようになりました。デモにも参加しました。
 「佐藤反動内閣打倒!」。何度も繰り返したシュプレヒコールです。

 Y君の先輩たちとも会うようになり、自治会事務室での話し合いにも参加するようになりました。実践的な革命論を語り合う場や、集会にも参加するようになっていきましたが、ただ、うそや偽善、搾取(さくしゅ)や抑圧のない社会や世界をつくることは良いことだという思いのみでした。

 やがて民主青年同盟への加入へと話が進んでいくことになるのですが、「心が満たされない」のです。それは思想が受け入れられないというのではありません。ただただ満たされないのです。心が乾いていくだけだったのです。そして、この人たちと一緒により良い社会がつくられるとは、どうしても思えなくなっていったのです。

 共産主義思想という「客観的真理」が、「私にとって真理であるような真理、私がそれのために生き、死にたいと思うようなイデー(理念)」(キルケゴール)にならないのです。心の内で、「いわゆる客観的真理などを探しだしてみたところで、それが私の何の役に立つのだろう」(同)という思いが広がりました。

 当時は、勉強不足だからと思いました。共産主義についてもっと専門的に深く勉強すれば、この渇きはなくなるかもしれないと考えました。そして一時、勉強のために運動から身を引くことにしたのです。(続く)