信仰と「哲学」112
希望の哲学(26)
哲学と信仰、共に生死に直面する

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 前回、「人間にとっての希望は、第一原因であり、時空を超越して今ここに生きていらっしゃる天の父母様(神)と出会うことです。さらにその『心』に到達することです」と述べました。
 それが真理探究の道(=哲学の道、信仰の道)の目標です。

 しかしその道は「困難な道」であると心に刻んでおく必要があります。共に、たどり着く所は自分の命、全存在を懸けて生きる所になります。その意味で主体的でなければ歩み切ることはできないともいえます。他力と自力の両側面が不可欠なのです。

 全存在を懸けるということは、真理の前に、神の前に、自己中心的な価値観を捨てる姿勢であり、時には命の危険も覚悟しなければならないこととなるのです。
 大げさな表現になってしまいましたが、ソクラテス、イエス、スピノザ、キルケゴールなど、皆全存在を懸けて真理と向き合ったのです。

 ソクラテスは、国家・アテネのために若者を啓蒙(けいもう)し続けました。「不知の自覚」と対話が必要であると訴え続けました。
 ところが、その国家は彼が世を惑わす、青年を惑わす者であるとして死刑を言い渡したのです。ソクラテスは、国家のために生きてきた自分であるが故に、国家が出した命令に従うことを選びました。それはまた、彼の生き方を貫くことでもあったのです。

 弟子のプラトンは、師匠のソクラテスを権力によって処刑されました。それ故プラトンの哲学は、哲学者でありながらも師匠ソクラテスのように殺されないためにはどうしたらいいかという問いと切り離すことができないのです。

 スピノザはユダヤ人です。彼も殺されそうになっています。しかしそのことが彼の哲学の道をゆがめたり、阻止したりすることはできませんでした。
 彼は1656年の夏、24歳の誕生日を迎えようとする時、ユダヤ教会から破門されました。

 破門の理由は「悪しき行いと意見」とされていますが、具体的内容ははっきりしないのです。
 すでに紹介させてもらったように、知的で批判的な精神を持った若者が、伝統によりかかるだけの保守的な教会の在り方に疑問を抱き、服従の態度を拒否したのです。ユダヤ人社会と決定的に袂(たもと)を分かつことになりました。

 破門の直後の夕方、劇場を出てきたところをいきなり暴漢に襲われ、外套の上からナイフで肩口を切り付けられ傷を負いました。狂信的な信者による犯行でした。
 真理を追究する道は、必ずしも世間の人々に歓迎されるわけではありません。それどころか強い反発すら生み出すこともあります。

 哲学者の道は真理の道です。その真理は必ずしも社会には受け入れられないし、それどころか権力からは往々にして敵視されるのです。
 イエスは人々に神に帰る道、永遠の命の道を伝えました。それが世を惑わす者、悪鬼の頭であるとして非難され、総督ピラトはイエスにいかなる罪も見いだせなかったにもかかわらず、死刑を求める群衆の声に屈したのです。

 しかし、イエスと共に神は生きていらっしゃいました。イエスは神のみ旨に従ったのです。それがイエスにとって「神から捨てられる」としかいえない道であったとしても、です。十字架の道、死の道でした。
 多くの人々は神の子であれば自分を救えるはずであり、かくも惨めな道を行くはずがないと見ます。しかしイエスの十字架は、ユダヤ民族の不信を贖(あがな)いサタンを退けて復活の勝利を獲得する道でした。新しい希望の道だったのです。