信仰と「哲学」80
コロナ禍世界の哲学(4)
脱成長に転換した晩年のマルクスを賛美?

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)は、マルクス・エンゲルスによる資本論批判としての「資本論」です。共通していることは資本主義の制度的限界を指摘しているという点だけと言っても過言ではありません。にもかかわらず、マルクスの偉大さや先見の明を繰り返し強調しているのですから、まさに異様としか言えません。

 マルクスは資本論で、資本主義社会の分析と運動法則を「科学性」という装いをもって明らかにしました。結論として、資本主義崩壊必然論を提示したのです。目的は労働者階級をして革命の先頭に立たせるためでした。

▲1867年のカール・マルクス(ウィキペディアより)

 歴史観・唯物史観としてのマルクス主義の吸引力、魅力の中心も、「科学性」という装いにありました。社会や歴史についての解釈と実践方案における「合法則性」を明らかにしたのです。
 マルクス、エンゲルスが自分たちの考え方を「科学的社会主義」と呼んだ理由です。人間の意志や努力を超えて歴史を動かす科学的法則があり、社会主義、共産主義の到来は歴史的必然であるというわけです。

 共産主義社会、すなわち搾取や抑圧のない自由、平等、公正な社会の実現は、マルクスよりはるか昔から、「空想」として語られてきました。その「空想」を「科学」へと転換させて人々を革命へと動員したのがマルクスなのです。マルクスの「資本論」であり、マルクスの唯物史観なのです。そして経済や歴史理論の核心が「生産力」でした。

 マルクスは、歴史の原動力は「生産力」であると述べました。その意味で「若きマルクス」(斎藤氏の表現)は「生産力至上主義」、経済成長至上主義であったということになります。

 資本家たちは競争に駆り立てられ、機械の導入などにより「生産力」を上昇させる。それとともに、多くの労働者たちに対する資本家たちによる搾取は過酷なものとなり、格差は増大する。多くの商品が生産されるが労働者は一層の低賃金を強いられ、それらの商品を買うことはできない。
 最終的には過剰生産状態となり、海外に市場を求める帝国主義的経済行動に転ずることによる「戦争」か、恐慌の発生となる。恐慌による失業で一層の困窮状態に陥った労働者たちが団結して社会主義革命(プロレタリアートによる独裁社会の実現)が起こる、と述べたのです。

 斎藤氏は「マルクスが自らの認識を修正」(『人新世の「資本論」』150ページ)するようになったと述べています。
 それはこれまでの経済・歴史理論の中心であった「生産力至上主義」を捨てるという大転換だったというのです。自らが提示した「科学性」の放棄です。

 そして「この認識が展開されるのは、『共産党宣言』から20年ほどたって刊行された主著『資本論』以降において」であるというのです。そして「マルクスの資本主義批判は、第一巻刊行後の1868年以降に、続巻を完成させようとする苦闘の中でさらに深まっていったからである。いや、それどころか、理論的な大転換を遂げていったのである」とし、「私たちが『人新世』の環境危機を生き延びるためには、まさに、この晩期のマルクスの施策からこそ学ぶべきものがあるのだ」と言い切るのです。

 晩期のマルクスの「大転換」は興味深く、その内容を学ぶ意味はあると思います。しかし、マルクスの「共産党宣言」や唯物史観の科学性、合法則性に影響を受けて生涯を投入し、科学的であるが故に正しいと自らに言い聞かせながら、反革命勢力の人命を抹殺していった歴史をなかったことにはできないのです。無責任と言わねばなりません。およそ2億人といわれる「共産革命」の犠牲者の魂への思いが語られていない「人新世の『資本論』」なのです。