信仰と「哲学」44
関係性の哲学~「死への投企」で見えてくるもの

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 文鮮明先生が語ったように「すでに死んでしまったものと思う」と、どんな「光景」が見えてくるでしょうか。その存在様相はどのように変わるのでしょうか。

 私たちの日常的な道具連関の関係性(互いの目的のため、利用し利用される関係)は完全に消滅します。仕事上の利害を中心とする付き合いは断絶するのです。趣味などを中心とした同好会的関係もなくなります。そして、いわゆるこれまで築いてきた「地位、名誉、財産」との関わりもなくなるのです。

 「世界内存在」としての現存在を取り巻く存在様相に根本的な変化が生じるのです。なにしろ日常的な、非本来的な関係性を持ってきた世界そのものがなくなるのですから。

 そんな死にゆく人間にとって意義あるもの、「いい人生だった。あれが人生の一番の幸福を感じた時だった」といえること、現存在が「すでに死んでしまったものと思う」時―これを「死への投企」とハイデガーは表現しました。「いいこと」「一番幸福を感じること」としての「良心の声」はどのようなものなのでしょうか。

 故人となった渡部昇一氏(上智大学名誉教授、英語学者)が晩年著した『実践 快老生活』(PHP新書)という書籍の中に、こんな印象的な部分がありました。長くなりますが引用します。

 「私には姉が二人いた。上の姉は、運動も得意、勉強も得意な、非常に優秀な子供だった。書道もうまく、たしか庄内地方で金賞などももらっていたように思う。
 彼女には好きな人がいたのだが、その人は戦争で亡くなってしまった。その後、短期間は結婚したものの、相性が合わずに離婚し、それからずっと独り身だった。
 父が東京へ出てきて以後も姉はずっと鶴岡の旧宅に住まい、一時は、部屋を貸すような仕事もやっていた。

 その姉が晩年を迎えたころ、私は姉に『人生で一番幸せだったのは何か』と聞いたことがある。答えは意外なものだった。
 弟である私が子供連れで帰省してきたときに、その私の子供たちを連れて海で遊んだり、ちょっとしたお菓子を買ってあげたり、子供たちから『おばさま』などと呼ばれるのが、いちばんうれしかった―長姉はそういったのである。(略)

 最近、社会でキャリアを積んだ女性たちの幾人かが、『おひとりさまの老後』とか『家族という病』などというタイトルの本を書いている。だが、そういう本を読んでみると、どうも『さびしいけれど、我慢しましょう』という声が聞こえてくるような気がしてくる。(略)

 姉は本当に私の子供たちとあえることが楽しかったし、毎年、こころからそれを楽しみにしていたのだ。彼女自身の子供だったら、もっと嬉しかったかもしれない。けれども、傍目にはさびしい人生を送ったように見える姉は、私の子供に会えたことが『いちばんの幸せ』だったと、しみじみ述懐したのである。そのことを思い出すと、私は胸の奥が熱くなる」

 渡部氏が晩年の姉に「人生で一番幸せだったのは何か」と尋ねることも「すごい」ことですが、それに対するお姉さんの答えも、「ヒト」=世人の評価、みんなこのように答えるだろうからというような曖昧なものとの無縁のものでした。

 晩年のお姉さんの、人生を回顧する意識は「すでに死んでしまったもの」に近いものであったに違いありません。そこには、利害を超えた愛による幸福の「世界」だけが残っていることを伝えたのです。