信仰と「哲学」39
関係性の哲学~「置かれた場所で咲きなさい」

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 「置かれた場所で咲きなさい」とは、渡辺和子氏の言葉です。2012年に発刊された同名の著作は200万部を超えるベストセラーとなりました。

 渡辺氏は1927年に北海道旭川市で、当時陸軍中将の渡辺錠太郎氏の次女として生まれました。ところが1936年、9歳の時に悲劇が襲います。「2・26事件」として知られる事件に遭遇したのです。父・錠太郎氏(当時大将で教育総監)が自宅の居間で青年将校らに襲撃されて命を落としたのです。渡辺氏の目の前で起きた出来事でした。

 その後、渡辺氏はキリスト教の洗礼を受け、米国留学などを経て、1963年36歳の時、異例の若さでノートルダム聖心女子大学学長に就任。2016年12月30日、89歳で亡くなっています。

 「置かれた場所で咲きなさい」という名言とともに、渡辺氏の「いのちは大切だ。といわれるより、あなたが大切だ。と、言われた方が生きていける」との印象深いメッセージもあります。いずれの言葉にも、自分だけが直面している現実に真剣に向き合う覚悟のようなものが感じられます。

 「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の持つ響きはどのようなものでしょうか。
 何か、突き放されたような感じを受ける人がいるかもしれません。しかし人間にとって本質的なことは、「私」「あなた」「彼」「彼女」はそれぞれが絶対的に個性体であるということです。すなわち、各自はそれぞれが「自分だけの現実」に直面しているのです。現実問題として、その現実に対応することができるのは、私以外にはいないのです。

 例えば、困ったことに遭遇した時、誰かに相談して、その人から「ああしたら」「こうしたら」という助言を受けることがあります。それはそれとして重要なことですが、結局のところ、やはりそれは「私自身」の問題であって、いかに親身に相談に乗ってくれたとしても、その人の問題ではないのです。厳しいようですが、私が置かれている本当の状況は他人には分かり得ないところがあるのです。助言を受けたとしても、それをするかしないかは私次第であり、その結果も私が引き受けるしかないのです。

 このような生き方、考え方を「実存主義」といいます。

---

 次回の配信は、1月20日(月)を予定しています。