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信仰と「哲学」133
神と私(17)
存在の法則・原理について

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。

 「原理」という言葉は根本的根源的なものとして他のものを規定するものであり、この原理に基づいて関係性などを表したものが法則になると、ここでは説明しておきます。
 原理と法則は相互的な関係はあるものの意味は違っているのです。

 さて、自然をはじめ存在するもの全ては一定の法則に従い、その根本には原理があります。全ては第一原因である神によって創造されたのです。

 以前本欄でも紹介したことのある世界的数学者・岡潔は、その特別な感性に基づいて得られた自然界についての驚きを、以下のように説明しています。

 「物質的自然の最大の不思議は、物質が法則にしたがうということです。単に法則があるだけでなく、物資はいかなる場合にも、決してその法則に違背しない。たとえば、小川のせせらぎを思い浮かべてみてください。小川は実にきれいにせせらぎますね。あれは重力その他二、三の法則によってそうなるのだけど、法則からせせらぎが出てくるためには、各瞬間、各水滴がそれぞれの情勢に応じてどちらの方向へどれくらいの速さで流れたらよいかをすぐに判断し、その通りに行動する必要があります。そうすると物質には、非常に難しい数学上の計算を直ちにしてしまうような知力があるとおもうほかない。でなければ、物質の法則がせせらぎになったりはしない。ラプラスの方程式なんかよりもっと難しいのを、瞬間に解いているということでしょう。
 だとすれば、物質には超自然的な知力があると思うほかない。(略)超人的な知力や意志力。こういうものを認めなければ、自然界は説明できるものではない」(『数学する人生』30ページ)

 存在界において、定められている法則・原理によらない神と人間との関わりはないのです。
 よって、「奇跡」という現象も定められた法則・原理内において起きている出来事であるといえます。宗教的言説を理解するための大前提です。

 岡潔氏はまた、自然科学の大きな発見として、非常に価値のある重要な二つの結果を得ているといいます。

 「まず、第一に、不安定な素粒子の発見によって、五感ではわからないものがあるということを示しました。しかもそれを、理性でわかるような形で述べました。(略)第二に彼らは、五感でわかるものだけをいくら丁寧に調べても、いつまでたっても生命現象は一つもわかっていないことを、実際にやって見せることによって実証しました。あんなに丁寧に自然を科学したのに、なぜ見えるのか、なぜ立とうと思えば立てるのかといった人の知覚、運動という生命現象のイロハに、全然説明がつかないのです」(同、32ページ)

 このようにして数学者の立場から、唯物主義と個人主義を徹底批判したのです。
 いずれも存在の法則・原理から外れていると強く批判しました。

 存在の原理(創造原理)を基準に私自身と全体(自然、世界、歴史)を把握する必要があるのです。