信仰と「哲学」23
善について~師を否定したアリストテレス

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 ギリシャの代表的哲学者を挙げるとき、ソクラテス、プラトンと続けば、次は必ずアリストテレス(BC384 - BC322)です。

 アリストテレスはプラトンの弟子でした。しかし両者には違いがありました。

 プラトンはイデア(ギリシャ語で「見られた真の姿」:「ものごとの真の姿」「ものごとの原型」)を論じ、その特徴は、現実にはイデアはなく、イデア界に造物主(神)の設計図として存在するとしたのです。そして、全ての人々がそれを目指し、あるいは従うべき唯一の原理としました。イデアの最高位は「善のイデア」です。

 ところがアリストテレスは、「~とは何か」という問いは、「善」「美」といった抽象的概念についてではなく、具体的な一つ一つの存在者(「個物」「個体」)について立てるべきであるとして、師プラトンのイデア論を否定したのです。

▲アリストテレスの石膏像(ウィキペディアより)

 例えば、バラや人間には、芽を吹き成長しようとする原因である「作用因」、バラや人間そのものが存在し、運動変化する目的である「目的因」、それぞれたんぱく質やアミノ酸、繊維質などから成るという「質料因」、そのものが「何であるか」を規定する「形相因」があるとしました。

 このように個々の生き物や人間など、全ての個物・個体は、それぞれ「作用因」「目的因」「形相因」「質料因」の組み合わせから成っていると考えたのです。これを「四原因説」といいます。

 すなわち、個物がそれ自体において本質を持っているというわけです。人間においては、各人が自分の「内的必然性」(四原因の組み合わせから出てくる指向性)に従うことによって「自己実現」することが理想の生き方であるとする考え方につながるのです。

 アリストテレスは、現実世界を超越したイデア世界を前提にした考え方を否定し、あくまでも現実世界の内部にとどまろうとしました。しかし、造物主(神)の存在は認めているのです。

 個物といっても、色や匂いのような「何か」の色や匂いとしてしか存在し得ない「性質」と、木や人のような、ある意味、それだけで存在し得るものを分けました。そしてアリストテレスは後者を「実体(ウーシア)」と呼んだのです。

 しかし、より深く考えれば、木や人も、土や両親などの原因がなければ存在することはできません。よって、本当の意味の実体ではないというのです。本当の意味の実体とは、他に依存せず、それ自身で存在する存在者であるからです。

 結論としてアリストテレスは、他者から動かされることなく、他者の全てを動かす存在=「不動の動者」として造物主、神を認めることになったのです。