信仰と「哲学」36
本体論入門~特別編①「清平」役事について

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 今回から3週連続で、本体論特別編をお届けします。

 既述のように、ここでいう本体とは神のことですが、今回は「清平(チョンピョン)」という特別な場所での「経験」を記してみたいと思います。

 1016日から1124日までの40日間、突然、神霊と真理による本体との出会いの場を探求する機会が与えられました。
 そのいきさつは省きますが、結果として本体との出会いを体験(純粋経験として)することができました。さらに心身共の生まれ変わりを実感することができたのです。これまでの哲学的思考が、そこに至る準備として非常に役立ったのです。その経緯を説明してみようと思います。

 まず、「清平」の地について説明します。
 場所は、大韓民国京畿道加平郡雪岳面です。金浦空港から車で1時間半程度。その場所は清平湖に面しており、その場の地形は母親の胎を象徴的に表している場所なのです。

 「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記127節)とあるように、神の体ともいえる自然の地形は、人間の体の形と相似形の場所には、人間の体のその部位とかかわる自然力が備わっているとみることができるでしょう。

 その場にある修錬苑では、役事といわれる特別のプログラム(歴史は25年ほど)があります。一回の役事はおよそ1時間半。一つの聖歌を賛美しながら両手を胸の前で音楽に合わせてたたくのです。拍手の後は、列をつくっている前の人の背中を両手でたたきます。さらに自分の頭、顔、首、胸、おなか、足、手を自分の手でたたいていき、ワンサイクルとなります。それが2回繰り返されるのです。

 ステージの前には掛け声をかけてリードする指揮者がおり、その両サイドには聖歌を歌う補助の指揮者がいます。音楽はエレクトーンでメロディーを維持し、さらに特徴なのは大きな太鼓で拍子を取ることです。あたかも神の心臓の鼓動のように響いてくるのです。

 役事の意味はいくつかありますが、この40日間での最大の経験はまさに「純粋経験」としての本体である神との出会いでした。

 本体の本質は統一力であり、その統一の形は四位基台です。
 「神を知る純粋経験の条件、それは『無になること』です。『自分さえよければ』、『自分が、自分が』の意識が消滅した時、統一的な表象と私とが共鳴、共振現象を起こすのです。統一的表象とは四位基台のかたちです。真実在である神によって創造され四位基台のかたち(統一的表象)を備えた被造物との関りで生ずる精神現象は、全て純粋経験であり、神の臨在を直覚し得るものであるはず」(信仰と「哲学」第30)なのです。

 自分の四位基台と本体としての神の四位基台が共鳴、共振を起こすのです。それが神との出会いです。