信仰と「哲学」92
希望の哲学(6)
人間・森羅万象に神が宿る

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 第一原因を否定することはできません。それは量子力学や宇宙論・ビッグバン理論などの科学的成果により明らかになっています。よって、その第一原因を「神」という言葉で表すのですから、誰も神の存在を否定することはできないということになります。

 しかし重要なことは、その神と被造世界との関係です。いかなる「原理」によってその関係性が成り立っているのか、ということです。

 繰り返しになりますが、『原理講論』には、神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、「一つの完全な有機体である」と記されています。

 有機体について、『岩波 哲学小辞典』には「狭義では生物と同じ、生物体は、その諸部分の間に形態的にも機能的にも分化がありながら、それら相互および全体との間に不可分の連関があり、一つの統一体を造っている。ここから、広くこのような構造をもつものを有機体という」とあります。
 すなわち有機体とは生命体と同じ意味になるのです。

 全てのものが関係性にあるということ、すなわち有機体であるということは生命体として存在しているということを意味します。
 半面、関係性を維持できず構成している要素がばらばらになってしまうときが生命体ではなくなる、「死」の状態ということになります。

 被造世界は神の体であり、人間をはじめとする被造物は、それぞれが関わり合いながら神の体、有機体を構成しているということになるのです。
 神と被造世界とで一つの生命体を創り上げているのであり、被造世界を構成している個々の存在者全てが神のうちにあり、また神が全てのうちにあるということになるのです。

 よって、全ての人間は神を内に宿す「神の宮」なのです。
 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリント人への第一の手紙 第3章16節)との聖書のみ言も上記の意味で捉えるべきなのです。さらに、森羅万象全ての存在は「神の体」を構成する存在者であることになります。

 これは「釈尊の悟り」でもありました。
 釈尊の悟りとは、「すべてのものは関係性の中に」あって巨大な生命体を構成しているということだったのです。

 仏教学者・増谷文雄氏は「そもそも、釈尊がかの樹下において与えられた直観なるものは、ずばり申しますなれば、すべての存在は関係性の中にあるということでありました」(『釈尊のさとり』 増谷文雄著 講談社学術文庫)と記しています。

 宇宙は一つの生命体、その生命体と同じ命を自分も生きている、宇宙の全ての存在と自分は関わっているという直観が、釈尊の悟りだったのです。

 宇宙・森羅万象は神を心とする一大生命体です。よって、人間の利己的欲望を満たすために自然を破壊していく行為は、神ご自身の体を傷つけ壊していくことなのです。
 この点を人間が心から思えるようになることが、本当の自然環境保護なのでしょう。