初めて本物の富士山を見たのは、遡ること半世紀近く前、受験のために九州から上京する寝台車の窓からでした。
円錐形の端正なたたずまい、絶妙に非対称に広がる美しい裾野、独立峰ゆえの圧倒的な存在感。その荘厳さに打たれ、当時、弱冠17歳(早生まれなので)でしたが、思わず車内から拝んでいました。
その強烈な印象があったからでしょうか、学生時代、山岳小説で有名な新田次郎の、特に富士山に関する小説に夢中になった時期があります。
その中の一冊、『富士に死す』は、江戸時代に広まった富士講(富士山を信仰する民間信仰の集団)の修験者を主人公にした長編小説です。私は同書を通して初めて、古くから多くの人々が富士山を単なる自然の山としてではなく、信仰の対象、心の拠り所として崇めていたことを知りました。
ところで、日本には各都道府県に「郷土富士」があるのだとか。蝦夷富士(北海道・羊蹄山)、津軽富士(青森県・岩木山)、薩摩富士(鹿児島県・開聞岳)などは有名ですが、まさか各都道府県にあるとは驚きです。また、「富士」や「富士見」などが付く地名は、逆立ちしても本物の富士山は見えない場所も含め、全国に数百もあるそうです。
写真もSNSもない時代に、なぜ富士山の存在はこれほど全国に知れ渡り、人々の心に深く刻まれたのでしょうか。
その理由としては、古来より和歌や物語で詠まれてきたこと、特に江戸時代には富士山を描いた浮世絵が大量に制作され、行商人や旅人の移動によって全国に流布したことなどがあると思います。
それに加えて、信仰の力も大きかったのではないでしょうか。信仰という強い動機によって、日本全国の人々の心に霊山としての存在を刻みつけたのではないかと思うのです。
私が、初めて富士山を見たときに我知らず手を合わせたのは、そんな富士山の強い霊気を感じたからかもしれません。
12月に入って間もない休日、ウォーキングで少し遠出をしたときのことです。葛飾区を流れる中川のほとりで、不思議な造形物に遭遇しました。「何これ!」と、思わず足を止めました。
よく見ると、富士山をかたどった小さな山のようでした。
あとで調べてみたら、これは飯塚富士神社という神社の境内に鎮座する「富士塚」というものでした。同神社の歴史は思いのほか古く、1332年(鎌倉時代末期)に創建とのこと。富士の名を冠するこの神社は、富士講の流れを受け継ぎ、この富士塚は明治12年(1879年)に地元の富士講の人々によって造られたそうです。
その後、2017年に整備工事が行われ、社殿や富士塚は一新されて今の姿になったとのことでした。
飯塚富士神社の社殿と富士塚(東京都葛飾区)
「本物に登れない人のために、富士山に登ったのと同じご利益を得られるように」という、熱心な信仰心から生まれた人工の山──。
日本人の、自然を畏敬する心、そして宗教的・精神的な価値観を大切にする国民性を改めて感じる時間となりました。(晶)




