昨年11月、義母(夫の母、霊肉界祝福)が97歳で聖和しました。
義母は、おおらかで明るく、とても優しい人でした。誰に対しても、機嫌が悪い素振りをしたり、意地悪なことを言ったりするのを見たことがありません。
最後の5、6年は地元、小樽市(北海道)の高齢者施設に入っていました。足は動かなくなり、車椅子生活でしたが、頭はしゃんとしていて、冗談を言っては周りを笑わせていたそうです。
義母は、書道やパッチワーク、フルート、合唱、海外旅行など、多趣味で活動的。手紙はいつも筆文字で、こちらが返事を書くのを躊躇するほどの達筆でした。
手先が器用で、裁縫はお手の物。孫が学校で使う上履き入れや給食袋、雑巾、習い事で使う手提げ袋まで作ってくれました。家族の人数分、縫ってくれたパッチワークの布団カバーは力作で、今でも大切に使っています。
ホームステイで受け入れたオーストリア人から教わったというチーズケーキは絶品で、よく冷凍で送ってくれました。
仕事に追われ、家事は手抜き、おまけに面倒くさがりの主婦(私のことです)のせいで、とかく殺風景になりがちだったわが家の生活を、豊かに彩ってくれました。
義母が亡くなった知らせを受けて小樽に飛び、お通夜の3時間ほど前に葬儀場に着くと、義姉(夫の姉)が控室のテーブルで、何やら一心に作業をしていました。そこには、何百羽もの色とりどりの折り鶴が山盛りに積んでありました。
聞くと、義母は亡くなる直前まで鶴を折っていて、これを自分の棺に入れてほしいと言っていたので、その準備をしているとのこと。早速、私も義姉と一緒に、折りたたまれた鶴の翼を一つ一つ開いて、命を吹き込む作業をしました。
一連の葬儀が滞りなく進み、いよいよ出棺のときが来ました。皆で義母の体を花で埋め尽くした後、最後に参列者に折り鶴が配られ、皆で思い思いに義母を飾りました。
たくさんの花と折り鶴に囲まれた義母の顔は、とても穏やかでした。
この義母の名前は、鶴子(つるこ)。何と、真のお母様と漢字が同じです。
義母は、この広い世界で、そして長い人類歴史の中で、お母様と同時期に生を享けて、しかも同じ名前で97年の生涯を全うしました。
み言は分からずとも、「ために生きた」義母。知らず知らずのうちに、祝福家庭である息子の家族の生活をサポートしてくれた義母。そして、自分が霊界に行くことを見据えて、鶴を折り続けた義母。立派な人生だったと思います。
この義母を、「霊肉界祝福」という“称号”で霊界に送ることができたのが感謝です。霊界で義父と出会い、天の父母様のもとで幸せに暮らせるよう、私も地上で精誠を尽くしたいと思います。
(晶)
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