今月号から、伝道教育局の石尾豪志局長によるエッセー「真の父母様との小さな出会い」がスタートしました。
△石尾豪志・伝道教育局長
石尾局長は、2001年から2007年まで、当時の全国祝福家庭総連合会総会長の補佐官を務めました。
エッセーでは、その期間に真の父母様とお会いして、直接見聞きした内容を証ししています。
ここでは、その内容を一部、ご紹介します。
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アラスカ・コディアクの公館ノース・ガーデンで、2005年、7日修練会が7月と9月の2回、行われました。私を含む日本からの12人の他に、韓国から12人、ウエスタン(大部分は米国)から12人が参加しました。
この修練会に参加する前、私には一つの悩みがありました。それは「祈りは神様に捧げるのか? それとも、真の父母様に捧げるのか? どっちだろう?」という内容でした。
私たちは祈りの初めに、「尊貴なる天の父母様(神様)、勝利された真の父母様」とみ名を唱えて祈り始めます。
「天の父母様、すなわち神様とみ名を唱えたなら、真の父母様のみ名を唱えなくてもよいのではないか? なぜなら、祈りとは神様に捧げるものだからだ」と私は考えていたのです。
そんな悩みを抱えながら参加した、9月5日の早朝訓読会でのことです。
その日は安侍日でした。真の父母様をお迎えして、朝5時から敬礼式を捧げました。真のお父様が「天宙平和連合と共に祖国光復を成す。悪は勝ったようでも、滅んでいくのだ。個人主義打倒、そして家庭主義支持である。家庭第一主義である」という趣旨のみ言を語りながら、ふいに私を見られました。お父様と私の距離は、間に2、3人が座ることのできるくらいしかありませんでした。
そして、真のお父様は、突然、話をそらして、私を見ながら、「祈りは真の父母に捧げるのだ」と語ってくださったのです。私は、ひどく驚きました。私が抱え続けた悩みに、ズバリと、私を見ながら答えてくださったからです。驚きとともに、感謝と喜びを感じました。
しかし、私は真の父母様から直接答えを頂きながら、その後もしばらく納得がいきませんでした。「祈りは神に捧げるものである」という観念がとても強かったからです。
『原理講論』の「第七章 キリスト論」の中に、「イエスが神御自身であられるならば、その御自身に対して、どうして祈祷することができるであろうか」とあります。このように「メシヤも神様に祈祷を捧げるのだ」という趣旨のみ言が掲載されていることも、私の考えの根拠になっていました。
……当時の私は、情的というよりは知的に「原理」を理解していました。それで、真のお父様から直接、解答を頂いたのなら、素直に信じればよいものを、理知的な裏づけなしには簡単に信じることができなかったのです。
「祈りは真の父母に捧げるのだ」、真のお父様が下さったこのみ言の真意が分かったのは、実は最近のことです。
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果たして、石尾局長が悟った、真のお父様のみ言の意味とは?
続きは、『世界家庭』5月号(80~81p)をごらんください!
*編集部から*
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