この春、一番上の子供が大学生になり、家を出ることになりました。
家の中の兄弟構成が変わることで、親としても落ち着かない日々が続いています。
ところで我が家では、子供が生まれて1歳になったときや、何かの記念のたびに、写真館で記念写真を撮ってきました。それを壁に飾ったり、折に触れて見返したりすることで、我が家の歴史を家族みんなで共有できている感覚があります。
ただ、直近でそのような写真を撮ったのは、上の子が小6だった7年前。
当然ですが、思春期の子供は、親と一緒に写真なんか撮りたがりません。
私もそのような気持ちを汲み取り、あえて話は出しませんでしたが、今回、上の子が家を出るということで、やはり家族みんなで写真を撮りたいという気持ちがふつふつと湧いてきました。
ただ、そこはやはり難しい時期の子供たち。気持ちの面でもそうですが、そもそもスケジュールを合わせるのが一苦労です。
しかし、悩んでいても先に進まないので、思い切って春休みのある日曜日に、写真館の予約を入れました。
そして、子供たちにさりげなく提案してみると……即座に、一斉のブーイング。
「誰も望んでいない」など、散々な言われようです。

いや、気持ちは分かるのです。私だって思春期の頃であれば、反発していたでしょう。気持ちが分かるからこそ、こちらもくじけそうになります。
やっぱり、キャンセルするべきか……。ついつい弱気になってしまって、生成AIに相談してみました。
・私:「家族の区切りを迎えるときに、一緒に写真を撮りたいというのは、親のエゴなのでしょうか?」
・生成AI:「そんなことはありません! 親御さんにとってはこれまで必死に子育てをしてきた勲章であり、子供たちにとっては将来、自分がどれだけ親から大切にされていたかを振り返る宝物になります!」
相変わらず、生成AIはユーザーに寄り添ってくれます(笑)。
・生成AI:「乗り気でないというのは、実は恥ずかしさの裏返しかもしれません。また、もし当日、不満たらたらだったり、誰かが抜けてしまったりしても、みんな大人になってからその写真を見たときに、『おまえ、あのとき、めっちゃ機嫌悪かったよな』、『おまえ、あのとき、いなかったよな』と笑い合える日が来るはずです!」
なるほど。そういう観点はありませんでした。
もし、みんなの予定や気持ちが合わなくて、誰かがその場にいなかったとしても、それが今の私の「家庭の現在地」であり、その姿を残しておくことにも意味があるのだと。
このような気づきで私の気持ちも吹っ切れ、改めて子供たちにアピールした上で、あとは彼らの判断に委ねることにしました。
真の父母様のみ言に、このようなものがあります。
「生まれた子供が男でも女でも、それは自分たちの過去の姿であり、大きくなったお父さん、お母さんの第二の表示体として体恤するようになります。……子供たちを通して、自分たちの過去を再び展開して感じることによって、自分という実体がはっきり分かるとともに、子女を中心として愛の刺激を受け、どんどん自分の内的覚醒、外的覚醒がなされていくのです」(『文鮮明先生の日本語による御言集特別編1』218ページ)
思春期の難しい時期の子供たちの中にも、自分の過去の姿を発見し、そのときの子女としての気持ちと、それを見つめていた親の気持ちを感じ取る。そして、将来、子供たちが大人になったときに感じるであろう気持ちにまで、思いをはせる。その上で、今の自分の気持ちを率直に表現する。
家庭というのは、つくづく、愛の訓練道場(それもかなりスパルタの)だなあと思います。
* * *
さて、結果としては、直前まで予定がどうなるか分からない子もいるなど、最後までひやひやしましたが、それこそ奇跡的に、家族そろって写真を撮ることができました。
できあがった写真を見たら……案の定、基本的に子供たちはみんな、仏頂面。しかし、何枚か、そろって笑顔の写真もありました。
これが、今の私たちの家庭の現在地。
これからも山あり谷ありだと思いますが、その時々の姿をしっかりと受け止めながら、歩んでいきたいと思います。





