昨年暮れ、6年近く飼っていたウサギが虹の橋を渡りました。
その数日前から元気がないように見えて気になっていたのですが、深夜に容体が急変。慌ててタクシーを拾って動物の救急病院に駆け込みましたが、すでに遅く……。タクシーの中で「キュン」という声を3回上げたのが、お別れの挨拶だったように思います。
病院では、「エコーで見る限り、心筋梗塞のような症状かと思います」とのことでした。
この子の名前は「うさまる」。ネザーランドドワーフの男の子です。
平均寿命から見ると、6年は少し短いようですが、生きている間はいつも元気いっぱいで過ごしてくれたので、幸せな「兎生」だったと信じています。
翌日、病院で紹介されたペットの葬儀社で、簡単なお葬式をしました。シンプルな家族立会葬で、亡骸を花で飾り、お線香を上げた後、火葬してもらい、骨を拾うという流れ。最後に、骨壺と写真を置いた祭壇にお線香を上げて(写真)、葬儀は終わりました。
実は私は、うさまると出会うまではペットの葬式には消極的でした。もちろん、勝手に埋めることはできないので、しかるべきところで火葬する必要はあるものの、葬式まではやりすぎではないかと……。
しかし、うさまると過ごすうちに、安らぎと笑いをもたらしてくれる彼はもはや「家族そのもの」となり、葬儀を行うことはごく自然な選択となっていました。
その昔、「禁じられた遊び」というフランス映画があり、日本でも大ヒットしました。
タイトルにある「遊び」とは、子供たちが死んだ動物を埋めて十字架を立て、お墓を作るというもので、それを知った大人が厳しく禁じたのです。
その理由は、子供たちが人間のお墓から十字架を盗んできたことが大きかったのですが、背景には、「動物には人間のような不滅の霊魂はない」というキリスト教の伝統的な考えがあったと聞いたことがあります。
統一原理から見ても、霊というものがあるのは人間だけだと思います。だからと言って、動物の亡骸を物質のように扱うことは到底できませんし、供養したい気持ちが湧くのは自然なことだと思います。
「霊界では、会いたいと思ったら即座に目の前に現れる」と聞いたことがありますが、それは実体が現れるということなのか、思いの世界のことなのか……。
霊界にも花は咲き乱れ、動物もたくさんいるでしょうが、そこにいる動物は、一体いつからそこにいるのか、瞬間的なものなのか。はたまた、地上に生きていたのと同じ“個性真理体”の動物はいるのか……。
時間と空間に縛られた地上での暮らししか知らない私には想像もつかない世界ですが、いずれにしても、神様は人間が最も幸せに感じるように霊界をお創りになったことだけは確かです。
「死」が永遠の別れでないのは人間同士に限ったことではなく、長年共に暮らしたペットにも当てはまるといいな、神様はどのような世界を準備しておられるのかな、など、愛兎の死をきっかけに、いろいろと思いを馳せているきょうこの頃です。
(晶)




