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2014年04月27日

『原理講論』語句解説(19) モーセとイエスを中心とする復帰摂理(1)

『原理講論』には難しい言葉が使われている箇所が多くあります。そのため、意味がつかめなかったり、文脈からしてこうではないかと推測するものの、違った意味に捉えてしまうようなこともあります。そこで、難しい言葉に解説を加えてみました。

[ ]の中は、『原理講論』のページ数と、行数を示しています。一つの言葉に、二つ以上の意味がある場合、『原理講論』で使われている意味のほうに☆印をつけました。反対語は⇔で、参照は→で示してあります。

<モーセとイエスを中心とする復帰摂理>

[343-12]模擬者(もぎしゃ) あるものの形態・方法などをまねる者。

[344-4]ハラン メソポタミア北部の町。ユーフラテス川の支流のほとりに

     ある。テラとアブラハムとはしばらく寄留し、テラはそこで死んだ

     (創世記11:31、32、12:4、5)。

[344-6]ヤボク河(がわ) ヤボク川とも。ヨルダン中流に東から注いでい

     るギレアデの川で、ヤコブがこの渡り(渡し)の近くで天の使いと格闘した

     ことで最もよく知られている。

[345-6]マナ エジプト脱出のイスラエルびとが、荒野における40年の漂泊

     中、これによって養われた食物の名称。

[346-7]ヨルダン河(がわ) ヨルダン川とも。パレスチナにおける最大の

     川で、北境の水源から死海に注ぐ河口まで、この地域全体を流れ下

     る。

[346-17]捧持(ほうじ) 捧げて持つこと。「遺影を―する」。

[347-10]ヘロデ王(おう) ヘロデは前37年から前4年までローマの庇護の

     もとに、ユダヤ王として在位した。彼には10人の妻があったが、ユ

     ダヤ人以外の女性、ユダヤ教以外の宗教の女性も含まれていた。彼

     女たちによって多くの息子を得たが、その何人かは彼自身が殺害し

     ている。東方から来た博士に、生まれたばかりのイエスの所在を探

     るように命じ、彼らが背いたときに無辜の幼児たち、つまりベツレ

     ヘムおよびその周辺にいた二歳以下の幼児全員を殺害させたのはこ

     のヘロデである。この大量殺戮はマタイだけが伝えるものであるが、

     それによれば、ヘロデはこれらの幼児の中から、将来ユダヤの王と

     しての自分を追い落とす者が出ると考えたのである。彼が死んだと

     き、王国はアウグストにより三人の息子(アルケラオス、ヘロデ・

     アンティパス、フィリッポス)に分割された。

[350-10]アロン モーセより三歳年長の兄。女預言者ミリアムの弟。モーセ

     が主からエジプトの奴隷を救う任務が与えられた時、その代弁者・

     協助者とされた(出エジプト記4:14)。彼は最初の大祭司で、40

     年間祭司職を務めた。彼は荒野で主の言葉に背いたために、約束の

     地に入ることが許されず、123歳でホル山で死んだ(民数記33:38、

     39)。

[350-11]パロ エジプトの王を指す称号。

[351-8]ヨセフ 旧約聖書における有名な族長ヤコブの第11子、ヤコブと

     ラケルの第1子。父の溺愛をねたむ兄弟たちにエジプトへ奴隷とし

     て売られたが、同地で優れた能力を発揮して宰相にまで出世する。

     飢饉で食料を求めてエジプトに下った兄たちと再会した権力者ヨセ

     フは兄たちに試練を与えるが、結局は和解して彼らをエジプトに招

     き入れる。これがのちの出エジプトの大前提となる。

[351-10]ラケル ラバンの妹娘。ヤコブのいとこであり、また彼の妻となっ

     た。ヤコブはメソポタミアのハランの近くの井戸で彼女に会い、一

     目で恋し、彼女のために7年間ラバンに仕えたが、婚礼の晩、欺か

     れて姉レアを代わりに与えられたので、さらに7年間ラケルのため

     に働いた(創世記29章)。彼女はヨセフの母となり、ベニヤミンを

     生んで死に、エフラタの北に葬られた。

[351-10]レア ラバンの長女。ラバンは計略によってヤコブを欺いて、ラケ

     ルの代わりにレアを花嫁に仕立てたので、ヤコブは二人を妻とする

     ことになった。レアはルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、

     ゼブルン、末娘ディナの母となった(創世記29:16〜35、30:17〜

     21)。

[356-14]志操(しそう) 志を守って容易には変えない心。

[356-14]忠節(ちゅうせつ) 変わることなく忠義を守ろうとする心。

[356-15]享楽(きょうらく) 思うままに快楽を味わうこと。

[358-7]初子(ういご) 初めての子供。この言葉は、人間だけでなく、動

     物にも使う。

[358-10]ペリシテ ペリシテびとの住む地のことで、パレスチナはこの語か

     ら来ている。

[358-17]迂回(うかい) 遠回りすること。

[359-8]ミデヤン ミデアンとも。出エジプトの40年前、モーセがエジプト

     から逃れてきて居住した所が「ミデヤンの地」(出エジプト記12:  

     15)であると記されている。その荒野は、大体アカバ湾の東、北西ア

     ラビアを占めるものと考えられている。

[361-5]災禍(さいか) 天災や事故によって受ける災い。

[364-1]ミリアム レビびとアムラムとヨケベデの娘で、モーセとアロンの

     姉。モーセがイスラエル民族の指導者として立ち上がったとき、ミ

     リアムも女預言者としてアロンと共にモーセを助けて出エジプトに

     参加し、紅海を歩いて渡った直後には、主の勝利を賛美して躍り歌

     った(出エジプト記15:20、21)。のちにモーセがクシの女と結婚

     したとき、彼を非難し、重い皮膚病の罰を受けたが、モーセの執り

     成しで癒やされた(民数記12:1〜16)。カナンに入る前に、カデ

     シで死んだ(民数記20:1)。

[364-8]チッポラ 紀元前13世紀頃。ミデヤンびとの祭司エテロの七人の娘

     の一人で、モーセの妻。モーセはエジプト人を殺害し、砂漠に逃れ

     たときに彼のもとにかくまわれた。モーセはチッポラとその姉妹が  

     家の近くの井戸で父の羊の群れに水を飲ませようと苦労していると

     き、彼女と出会った。彼は彼女たちをじゃました羊飼いの男たちを

     追い払い、井戸から水をくむのを手伝った。お礼にエテロはモーセ

     に家にとどまるように申し出て、チッポラと結婚させた。モーセと

     の間に二人の子供、ゲルショムとエリエゼルとを与えられた(出エ

     ジプト記2: 21、22、出エジプト記18:4)。

      モーセが主の召命に応えてイスラエル人を救い出すために家族と

     共にミデヤンからエジプトヘ向かう途中、主はモーセを殺そうとさ

     れた。その時チッポラは息子に割礼を施し、モーセを救った(出エ

     ジプト記4: 24〜26)。この時チッポラは二人の息子を連れて父エ

     テロのもとに帰り、モーセだけがエジプトに向かったのであろう。

     出エジプトののち、チッポラと二人の子はエテロに連れられてレピ

     デムでモーセと再会した(出エジプト記18:1〜7)。

[365-6]ラバン アブラハムの兄弟ナホルの孫で、ベトエルの息子、リベカ

     の兄、ヤコブの伯父に当たる。彼はパダンアラムにあるハランに住

     んだ。アブラハムの僕の贈り物を見て、リベカにイサクの妻となる

     ことを許した(創世記24章)。ヤコブはエサウの復讐を逃れてラバ

     ンのもとに身を寄せた。ラバンはヤコブを欺いて、ラケルと共に、

     嫌われた姉レアを妻として与えた。20年働いたヤコブは、彼の増大

     した所有をねたむラバンの気持ちを知って妻子を連れて去った。あ

     とを追ったラバンは神の警告を受け、再び会わぬように契約を結ん

     で別れた(創世記30、31章)。

[366-9]敵愾心(てきがいしん) 敵に対する怒りの気持ち。また、あくま

     でも敵を倒そうとする闘争心。

     (1040)

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