記録的な猛暑が続いた今年のお盆。帰省されたかたも多かったことでしょう。
春節(旧正月)の中国、秋夕(チュソク/旧暦8月15日に行われる名節)の韓国ほどではないにしろ、日本でもちょっとした「民族大移動」が起こるのがこの時期ですね。
祝福家庭にとって、正月やお盆の帰省は、“プチ還故郷”の意味を持つといってもいいのではないでしょうか。
「還故郷」「氏族メシヤ」の勝利が願われて久しいですが、氏族復帰の取り組みは、片手間でできるようなものではありません。完全投入なくしては勝利できない、まさに歴史を懸けた戦いでもあります。
かくいう筆者も、盆暮れとGWを中心に活動している(しようとしている?)氏族メシヤ候補者の一人ですが、今年の夏はいつにもまして気合を入れて臨んでみました。
親族間の関係もコロナ禍ですっかり希薄になりました。非婚化、少子化、高齢化は他人事ではありません。
この数年、現実的な危機感と共に、親族とのつながりを回復したいと、少しずつですが伝道(愛の実践)の種まきをしてきました。
結果的に今回は、10家庭、30人余りの親族と接触を図ることができ、何人かとはじっくり交流することができました。
何年かぶりに叔母の家を訪ねた時のことです。
同居する叔母の息子夫婦は犬を飼っていました。犬種はシーズー。家の中で家族と寝食を共にする愛らしい“彼”は、すっかり家族の一員となり、息子夫婦の愛息の位置を占めています。
飼い主の愛情に満たされた生活を送る“彼”ですが、部外者である私を簡単には受け入れてくれません。グルル…とうなり声を上げながら、時々ボクシングのジャブのように何度も吠えてきます。実はこのワンちゃん、かわいらしい見かけによらず、好戦的で人にも他の犬にもよく吠えるのだそうです。
ふとある思いが降りてきました。
「このワンちゃんに受け入れられれば、氏族復帰が一歩前進できる!」
私は最高の愛の心で“彼”の瞳を見つめます。手を出したらかまれそうなので、幼子をめでるように優しく精誠を込めて話しかけます。
するとあら不思議。
数分のうちに、飼い主の家族も驚くほど私に心を開いてくるではありませんか。
最初の警戒心はすっかり解け、心も体もリラックスしているのが誰の目にも分かります。そして“彼”の方から近づいてきて、私の周りを行ったり来たりしながらスキンシップを求めます。
「やった!」
「私の愛が届いたのか?」
こんなにすぐに懐くのは珍しいと、飼い主家族も皆、驚いています。遠慮気味だった初対面のいとこ(叔母の息子)のお嫁さんも満面の笑みで私の小さな勝利を祝福しています。
「一点突破、全面展開」
“彼”は私にじゃれながら、私が投げる布製のボールを喜々として追いかけます。
私はここぞとばかりに、いとこ夫婦との交流を深めました。
家族の皆さんとのなごやかな交流の時間は過ぎ、“彼”ともお別れする時が来ました。
飼い主に抱かれて玄関先で私を見送る“彼”は、私の目をじっと見つめながら「行かないで」と言わんばかりにクーンクーンと鳴いています。
これには家族の皆さんもびっくり。おまけに玄関に置いてある水槽の中のカメも驚いたように首をにょきっと伸ばして私を見つめています(と私は感じました)。
人間は神の二性性相の形象的実体対象、そして万物は象徴的実体対象として創造された。万物条件(象徴献祭)は、人間(子女)復帰のための象徴的条件となり得る、と考えれば、これは復帰摂理の過程的現象ではないか!などと思いを巡らせながら、私は頭の中で『原理講論』後編の一節をなぞっていました。
いろんな出会いと発見のあった今年のお盆でしたが、食事やペットを通して、人と人とが心を通わせ、つながりを深めていくことができるのだと、改めて実感した夏となりました。
とりわけ、“彼”との出会いは印象的でした。万物条件を立てる、万物を愛することの重要性を実感した瞬間でした。
ワンちゃん、氏族復帰をサポートしてくれてありがとうね。