おととしの夏、わが家の小学生男子2人がパトロール隊を結成しました。彼らのミッションは、夏の朝、母(私)をセミの恐怖から守ること。2人のことは「セミパトロール隊」(通称セミパト)と呼んでいます。
私はセミがとても苦手です。
小学校低学年までは、セミに特別な感情はありませんでした。しかし、セミを超至近距離で見る機会があり、苦手になってしまったのです。その後、「神様がつくってくださったんだ。好きになりたい!」と、セミを克服する気持ちで昆虫図鑑を凝視した結果、ますますダメになってしまいました。
どれくらい苦手かというと、夏、木陰に入る前には、木をよく観察します。セミがいる可能性があるからです。狭い路上にセミがいると、そこを通ることができません。急に動くことがあるからです。道を歩くときは無言になります。道にいるセミや、飛んでくるかもしれないセミに意識を集中させているからです。セミの鳴き声にビクッとして首を痛めることが、一夏に何度かあります。
こんな私のために、玄関を出て自転車に乗るまでの道のりにセミがいないか確認してくれるのが、セミパトの仕事です。セミがいたら、近くの草むらまで移動してくれます。
しかし息子たちも当初、急に動くかもしれないセミを怖がっていました。そこで借りたのが、お菓子の力。1週間セミパトを続けたらお菓子1つ、1週間継続するごとに買えるお菓子の値段が上がります。
セミの恐怖をお菓子の力で克服した子供たち。最初はセミを傘でつつくこともためらっていましたが、去年は箒でささっと移動してくれるまでになりました。非常に頼もしいです。
その姿を見て、私もセミ嫌いをなんとかしたいと思いました。セミも神様の創造物。み言があれば肯定的に捉えられるかもしれないと、調べてみました。
「夏に、せみがペアになって音を出し、鳴いて拍子を合わせるのは、愛の歌を歌っているというのです。それがすべて教科書なのです」(天一国経典『天聖経』6-1-3-12)
なるほど。と思う反面、これだけでセミが好きになれるかと言われると……。
でも考えてみれば、できるだけセミに出会わないようにしているのに、セミは私の体に止まったり、体当たりしたり、隣の家ではなく、わが家の前で倒れていたり。もしかしたらセミは私が好きなのかもしれません。
そして私も夏になると、いつもセミのことを考えています。もしかしたら一周回って、私もセミが好きなのかもしれません。(?)
今年はセミを愛せるようになる!というのはハードルが高いですが、セミの鳴き声を愛の歌だと思えるようになることを目標に、セミパトたちと共に、暑く長い夏を乗り切ろうと思います。