最近、「親知らず」を3本抜きました。
3本のうち、最後の1本を抜くのがかなり大変で、時間もかかり、冷や汗をかきながらの抜歯となりました。
まっすぐ生えていれば、必ずしも抜く必要はないものの、最近は抜く人が多いという「親知らず」。
こういうことを聞くと、やはり「なぜ神様は、このような歯を創造されたのだろう」と思ってしまいます。
よく言われるのは、大昔は固いものばかり食べていたけれど、近代になるにつれてやわらかいものを食べることが多くなり、歯が生えるスペースが狭くなった(あごが小さくなった)ということ。
神様の設計図的には、人間は今よりもっと立派なあごをしていたのでしょうか?
それはともかく、「親知らず」という言葉の由来が気になり、いろいろと調べてみました。
昔は寿命が短くて、「親知らず」が生えてくる頃には、もう親が亡くなっているケースが多かったからとか、親が子供の面倒を見なくなる頃に生えてくる歯だから、という説があるようです。
韓国語では「サランニ(사랑니、愛の歯)」といいます。愛を知るようになる時期に生える歯だからということです。
英語では「wisdom tooth」で、「知恵の歯」。そのほかの言語でも、翻訳すると「判断の歯」、「分別の歯」となる呼び方が多いようです。
こう見ると、韓国語と日本語だけ少し趣が違っていて、その中でも、日本語だけが親子の関係性を前面に出した言葉であることに気づきます(「智歯」という言い方も日本語にありますが)。
この名前で呼び始めた人は、親子関係に、何か特別な思い入れがあったのでしょうか。
我が家では、子供たちの仕上げ磨きを私が担当してきました。私自身、小学生のときによく虫歯になっていて、苦い思い出があったので、子供たちはそんなことにならないようにと、頑張ってきました。
仕上げ磨きを通してこそできる、親子の交流というものがあります。子供ごとに性格が違っていて、うまく仕上げ磨きをやり抜くにもテクニック(と忍耐心、そしてもちろん愛情)が必要となります。
機嫌を損ねると絶対に口を開かなくなる子とか、本を読みながら仕上げ磨きをするように要求してくる子(本が邪魔でしょうがない)とか、様々です。
大変ではあるのですが、今振り返ると、子供が親を信頼して委ね、親のほうも必死になって子供に投入する、毎日の貴重な時間だったなと思います。
そうやって、子供たちが中学生になるくらいまで続けていた仕上げ磨きですが、それでも、確かに子供たちの「親知らず」は見たことがありません。
密着した親子関係を通過し、そこから一歩進んで、親が子供を少し離れた距離から見守るようになる頃に生えてくる「親知らず」。
もしかしたらそこにも、神様の特別な願いが込められているのかもしれません。
何はともあれ、皆様も、歯はお大事に!