光言社 編集者ブログ

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2022年07月14日

祝福式前の独りぼっち
歴史は繰り返す?

 

 6000双のマッチング(1982年10月)で私の相手に決まった男性は、事情があって、マッチング後すぐに日本に取って返し、14日の祝福式までに戻ってくるという、何とも慌ただしい “風呂敷群団”の一人でした。
 詳しくは2021年9月9日配信の記事をごらんください。

 マッチングが決まったのは10月7日夜。マッチング会場(水澤洞の中央修練院)の食堂で、ふたりで1時間ほど話した後、彼は、翌朝の日本行きの飛行機に乗るために、空港近くのホテルに向かいました。
 一方、私は他のカップルたちと共に、貸し切りバスで利川にある修練所へ。私はそこで、祝福式までの1週間弱を過ごしたのです。

 そこには、マッチングが決まったカップルが順次送られてきました。修練所はカップルたちで埋め尽くされ、まるでエデンの園のようでした。
 ただ、朝起きると、きれいに身支度を整えていそいそと出ていく女性もいれば、男性が呼びに来てもベッドに突っ伏したまま祈っている(?)女性もいて、エデンの園は悲喜こもごもでした。

 私は、葛藤することもない代わりに、楽しく語らうこともできないまま、手持ち無沙汰に敷地内をあちこち歩き回って過ごしました。
 もともと、一人でいるのは苦にならない質なのですが、やはり「なんでこうなるの」という思いはぬぐえませんでした。
 当時、私は24歳の未熟者。そこに何かしらの天の意図があるだろうと推し量ることもせず、感謝の心もないまま無為に過ごしてしまったことが、今さらながら悔やまれます。

 後から知ったのですが、国を出ることができない共産圏の食口たちは写真でマッチングを受け、その相対者は相手の国名すら口にできないまま、写真を胸に抱いて式典に参加したそうです。
 そのことを思えば、当日、相手が式典に来てくれただけで感謝なのでした。

 


6000双国際合同祝福結婚式(1982年10月14日、韓国・ソウル)

 

 時は流れて、2016年2月、息子が二世祝福を受けました。
 息子はどうしても仕事の休みが取れず、祝福式前日の夕方、仕事を終えてから羽田空港に直行。夫が息子から預かっていたスーツケースを持って空港で落ち合い、一緒に最終便で韓国に向かいました。
 金浦空港では、ありがたいことに、夫と息子2人だけのためにスタッフが待ってくれていて、小さなバンで宿舎まで送ってくれました。

 一方私は、その日の午後、一足先に宿舎に到着し、息子の嫁とそのお母さんと合流しました。
 宿舎では、前日から祝福前の教育が行われていて、皆カップルで講義を受けていたそうです。そういう中、嫁はかわいそうに、独りぼっちで講義を受けたのです。あらかじめ分かっていたこととはいえ、寂しかったことでしょう。

 それを聞いたとき、「あれ、これってどこかで……」との思いがよぎりました。
 そうです、歴史は繰り返されてしまったのです!

 私は祝福式前に独りだったことを、特に恨みに思ったつもりはなかったのですが、心から感謝することもなかったので、かわいい嫁に、私と同じ目に遭わせてしまったのかもしれないと、申し訳ない気持ちになりました。

 でも23歳の嫁は、恨み言の一つも言わず、夜中にたどり着いた息子をニコニコと迎えて、再会を喜んでいました。
 感謝して、りっぱに乗り越えてくれたのです。ありがとう!
 幸せそうなふたりに、私の心も癒やされたのでした。

 


2016天地人真の父母天宙祝福式(2016年2月20日、清心平和ワールドセンター〈当時〉)

 

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