光言社 編集者ブログ

印刷

  • 祝福家庭 編集部員のブログ
  • NEW
  • いいね(5)

2026年02月05日

恨を抱いて生きる

韓国留学中、歴史の授業で視聴した朝鮮戦争の映像が、今も私の記憶に深く刻まれている。戦火から逃げる避難民たち。その一角で、命を落とした我が子を抱き、全身で泣き叫ぶ母親の姿があった。彼女が激しく地面を叩き、慟哭する姿を見たとき、私の耳には「アイゴー! アイゴー!」という悲痛な叫びが、幻聴のように響いてきた。その瞬間、私は直感的に悟った。「ああ、これが『恨(ハン)』というものなのか」と。

一般に、日本の「恨み」と韓国の「恨(ハン)」は似て非なるものだと言われる。
私が抱く日本の恨みのイメージは、漢字で書くと「怨み」に近く、藁人形に五寸釘を打ち込む姿に近い。あるいは『忠臣蔵』のように、大切なものを奪われた際、その対象(敵)を討ち、復讐を果たすことで解決を目指す。「外」へと向けられた攻撃的なエネルギーだ。

対して、韓国の「恨」は、自分の心の中に釘を深く打ち込むようなイメージだ。
かつて、ある方から「真のお父様が『恨についてよく表現されている』と称賛された作品だ」と紹介され、映画・舞台作品である『西便制(ソピョンジェ)』を観た。そこで描かれるのは、パンソリの歌い手である父が、娘の声を完成させるために、彼女が寝ている間に目に毒を注いで失明させるという衝撃的な物語である。


一見すれば、それはただの凄惨な虐待に映るだろう。しかし、物語はそこで終わらない。娘は絶望の底で父を許し、共に旅を続け、自らの苦しみを歌声へと昇華させていく。父は完成された娘の歌声に満足して世を去る。この物語が語るのは、単なる悲劇ではない。理不尽な苦しみを力に変え、「人生とは喜びも悲しみもすべて飲み込み、ただ歩き続けていくものだ」という、一種の力強い励ましなのである。

最近、私は思いどおりにいかず落ち込んだり、やり場のない悲しさを感じたりしたとき、その原因を誰かのせいにしたり、外にぶつけたりするのをやめてみた


「神様も、真の父母様も、このように苦しまれたのだろうか」
そう思いを馳せるとき、神の存在をより身近に感じ、自分の中にある「恨」にも、価値が宿るように思えるのだ。(玉)

いいね(5)

戻る