歩くことが好きです。重い荷物や急な上り坂さえなければ、どこまでもどこまでも歩ける気がするほどです。
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お盆休みのある日、炎天下を歩きました。
東京都葛飾区の自宅近くを流れる中川を下ると、綾瀬川に合流します。その合流地点を目的地として、午前9時に出発しました。
うねうねと蛇行する中川を、スカイツリーを右に見たり左に見たりしながら歩き、1時間半ほどで目的地に到着しました。
合流地点の少し上流に架かる「東四つ木避難橋」。災害時の避難を目的に造られた橋で、鮮やかな黄色が目を引きます。
その後は、綾瀬川と並行して流れる荒川の河川敷を、しばし景色を楽しみながら歩きました。
「東四つ木避難橋」からさらに上流に、綾瀬川と荒川をまたぐ「木根川橋」があります。三角形の骨組みに囲まれていて、一瞬、鉄橋かと思いましたが、道路橋でした。
荒川の向こうは墨田区で、スカイツリーが青空に映えます。
荒川と並行して走っている首都高速中央環状線の四つ木出入口付近で出合った百日紅(サルスベリ)。暑さに負けず、たくましく咲いていました。
帰りはコースを変えて、京成押上線の線路沿いを歩き、午後1時頃に帰宅。ペースはゆっくりでしたが、4時間歩き続けたことになります。
炎天下、もの好きにもほどがあると言われそうですが、街並みの変化や季節を肌で感じることができ、日常では味わえない充実感がありました。頭と心を完全に空っぽにして、暑さを楽しみ、汗だくになることを楽しみ、疲れることを楽しんだ、良い時間となりました。
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ところで、「歩く」といえば、こんな言葉があります。
「人間は、生まれたその日からすでに、死という唯一の現実に向かって、談笑しながら歩いているのだ」
「談笑しながら」というのが少し悲しく、また皮肉のようにも思えて、心に残る言葉です。
なぜか私は長い間、これを夏目漱石の言葉だと思い込んでいました。人生の不条理を冷めた視点で捉えているところが漱石らしいなと、一人で納得していたのです。
ところが最近、改めて調べてみたら、この言葉の主は、複数の哲学者や思想家など諸説あり、結局特定されていないことを知って、ビックリ!
勘違いしていた自分が悪いのですが、大切に胸にしまっていた言葉が漱石のものでなかったのは、大いに残念です……。
とまれ、この言葉どおり、人生が「聖和」(霊界への出発)に向かって歩いている旅であることは間違いありません。
そうであるからこそ、その一歩一歩が、神様に与えられた、かけがえのない時間であることを、私も人生の終盤にさしかかった今、ようやく分かるようになりました。
そしてその旅路に、重い荷物を分け合い、急な上り坂では助け合って、「談笑しながら」どこまでもどこまでも共に歩いてくれる人がいるならば、それは最高に幸せなことだと思うのです。
晶