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2014年05月01日

『原理講論』語句解説(22) 摂理的同時性から見た復帰摂理歴史と復帰摂理延長時代

『原理講論』には難しい言葉が使われている箇所が多くあります。そのため、意味がつかめなかったり、文脈からしてこうではないかと推測するものの、違った意味に捉えてしまうようなこともあります。そこで、難しい言葉に解説を加えてみました。

[ ]の中は、『原理講論』のページ数と、行数を示しています。一つの言葉に、二つ以上の意味がある場合、『原理講論』で使われている意味のほうに☆印をつけました。反対語は⇔で、参照は→で示してあります。

<摂理的同時性から見た復帰摂理歴史と復帰摂理延長時代>

[468-12]洗礼(せんれい)

聖書に記される「バプテスマ」を指す。カトリックでは一般に「バプテスマ」を使用せずに「洗礼」を使用する。「バプテスマ」は、ギリシャ語で「浸水する」という意味の動詞から来た名詞である。この行為は原始キリスト教において、キリスト教徒になる「証印」として行われた礼典である。

[469-1]三大奇跡(さんだいきせき)

第一の奇跡は、神が命令して見せてくださったとおり、モーセの命令によって、アロンがその手に持っていた杖をパロの前に投げつけたとき、それが蛇となったというものである。

第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を懐に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を懐に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていた。

第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたこと。

[469-1]十災禍(じっさいか)

「エジプトの十災」と呼ばれている。1.川の水を血に変える。2.かえるの大量発生。3.地のちりをぶよとする。4.あぶの大量発生。5.畜疫。6.かまどのすすをもってうみのでる腫れ物をつくる。7.大きな雹を降らせる。8.いなごの大量発生。9.三日間の暗黒。10.長子たちの死、家畜の初子の死。

[469-11]シナイ山(さん)

聖なる山の名。ホレブとシナイは同意語。モーセを通して神から契約と律法を授けられた山として有名。

[469-12]石板(せきばん)

モーセがシナイ山で神から授かった律法が刻まれていた「石の板」。

[470-2]オテニエル士師(しし)

イスラエル最初の士師。キリアテ・セペルを占領し、その報酬としてカレブの娘アクサフを妻とした。この記述から見て、オテニエルはカレブの弟か甥であったと思われる。

[470-3]十二士師(しし)

聖書の本文では「さばきづかさ」と訳出。カナン占領から王国設立までの期間におけるイスラエルの軍事的、政治的指導者を指し、12人を数えた。彼らはカリスマ的指導者と呼ばれ、士師記に彼らの生涯、事績が記されている。

[470-3]サムソン→[320-12]

[470-3]エリ

幼少のサムエルが預けられたシロの祭司。当時シロはイスラエルのアンフィクティオニーの聖所として、神の箱が安置されていたのであろう。その神の箱がペリシテびとに奪われたうえ、ホフニとピネハスという二人の子がその戦いで死んだという知らせに、エリもまた急死した。彼はまた「士師」と伝えられるが、その業績の最大のものはサムエルの教育であったろう。

[470-3]サムエル

紀元前11世紀末期のイスラエルの指導者。本来は小士師であった(サムエル記上7:15〜17)と考えられるが、ときに大士師としても活躍(サムエル記上7:3〜14)。彼の生涯については、誕生から告別の辞まで、克明に報告されている(サムエル記上1章)。父はエルカナ、母はハンナ。母の祈りによって誕生したサムエルは、幼児期にシロの祭司エリのもとでナジル人として成長した。彼の活動は多様であり、先見者、神の人、預言者、士師、祭司などと紹介されている。

[471-5]カレブ

モーセによってカナンの地を偵察するために派遣された12人のスパイの一人。彼は、ユダ族を代表する形で出たことになっており、その報告に当たっては、直ちに進撃すべきことを主張した。しかし多くは防備の堅固なこと、そこに住む人々の強大なことを述べ、カレブの味方はヨシュアだけにすぎなかったので民は聞かず、その結果、彼らの臆病さは神への不信仰として罰を受けることになった。カレブはヨシュアと共にその罰から除外されて約束の地に入ることを許され、神に忠信な者として称賛されるとともに、ヘブロンの地を嗣業として与えられた。

[471-8]蒙古族(もうこぞく)

モンゴル族とも。モンゴル族とは、モンゴル高原(現在のモンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区を合わせたものにほぼ一致する地域)にバイカル湖~興安嶺の一帯とバイカル湖~アルタイ山脈の一帯を合わせた地域、または、当該地域や中央ユーラシアに居住するモンゴル諸語のモンゴル語などを母語とする民族をいう。

[471-8]フン族(ぞく)

ヴォルガ川東方から現れた遊牧民の集団で、370年頃にヨーロッパへ移住して大帝国を築いた。フン族は民族大移動を誘発し、西ローマ帝国崩壊の要因となった。フン族はアッティラのもとで統一帝国を築いたが、453年に彼が死ぬと、その翌年に帝国は瓦解した。

[471-9]ゲルマン民族(みんぞく)

インド・ヨーロッパ諸族に属する民族。原住地はバルト海沿岸地方。前8世紀頃から南下して中部ヨーロッパに定住。4世紀後半、大移動によってローマ帝国領内に侵入、ヨーロッパ全域を席巻し、現在の西ヨーロッパ諸民族、すなわちスウェーデン人,デンマーク人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人などが含まれる。普通は民族大移動前の古ゲルマン人を意味することが多い。

[472-3]統一王国時代(とういつおうこくじだい)

長らく王政をとらなかったイスラエルの最初の王はサウルであった。サウルは12部族の中から選ばれたが、中央集権的というより部族長を中心とする寡頭政治のリーダーであった。のちに分裂する前までの時代をこう呼ぶ。

[472-5]鼎立(ていりつ)

鼎(かなえ)の足のように、 三者が互いに対立すること。

[472-9]エルサレム

パレスチナの主要都市。ユダヤ教とキリスト教徒には「偉大なる王の都」として、またムスリムにとっては第三の聖なる都として神聖視されており、聖書に出てくる都市の中で、第一の都市である。

[472-9]アンテオケ

シリアの首府。前300年頃建設され、ローマ帝国時代にはシリア総督府がおかれて、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の大都市として繁栄した。キリスト教徒を「クリスチャン」と呼ぶならわしはこの地に始まったとされる(使徒行伝11:26)。

[472-9]アレクサンドリヤ

アレクサンドリアとも。エジプトの都市、海港。アレクサンダー大王が、エジプト征服後、紀元前332年に建設された。アレクサンダー大王の死後は、その部下だったプトレマイオス一世がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の首都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。

[472-10]コンスタンチノープル

東ローマ帝国の首都。旧名ビザンティウム、現名イスタンブール。ボスポラス海峡西岸に位置する。コンスタンティヌス大帝は、国内統一後この地に教会と宮殿を建て、ギリシャとイタリアの美術品を運び、首都をここに移し、彼の名を冠してコンスタンティノポリスと呼んだ。

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