2025.06.10 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 368
母なるものを慕い求めて⑫
聖女の伝統~マザー・テレサ
ナビゲーター:石丸 志信
リジューの聖テレーズの精神を相続し、その霊性を生きようとしたのがマザー・テレサ(1910~1997)だった。
彼女の本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。1910年8月26日、北マケドニア(旧ユーゴスラビア)のアルバニア人の親のもとに生まれ、翌日には洗礼を受けている。
日頃から貧しい人々への施しを心がける篤実なカトリック信者の両親の下で育てられた彼女は、12歳の頃には修道女への志を持つようになった。
その志を確かなものにしたのは、リジューの聖テレーズの影響であったのは間違いない。
地元の教会の司祭がテレーズの生涯を語り、聖人として列せられたことを聞いた。
テレーズの列聖式は1925年5月。15歳を過ぎたアグネスの心を深く捉え、彼女の人生を導くともしびとなった。
晩年、マザー・テレサはテレーズとの関係を次のように語っている。
「わたしの一生を通してずっと〈小さき花〉(訳注 テレーズ)がとても大切な存在であり、わたしのモデルになってくれると思ったとき深い幸福感を味わいました」(『イエスの渇き~小さきテレーズとマザー・テレサ』ジャック・ゴティエ著 伊従信子訳 女子パウロ会、49ページ)
アグネスは18歳の時に、アイルランドのロレットの聖母修道会に志願者として入会を許され、1931年に初誓願を立てた。
この時彼女は、リジューのテレーズの導きを願い、新しい修道名「テレサ」を選んだ。
その後、インド・コルカタで修道会が経営する聖マリア学院で女子教育に尽くした。
1937年に終生誓願を立ててからも、裕福な家庭の女子教育を続けたが、彼女の心には、貧しい人々のことが気がかりであった。
1946年9月10日、マザー・テレサが新たな召命を受けることになる。
年次の黙想のため列車でダージリンに向かう途上、主の呼びかけをはっきりと感じた。
貧しい人々と共に住み、完全に彼らのために奉仕する生活、それは物質的な欠乏以上に愛の欠如で渇いている人々をキリストの愛で潤そうとする行為だった。
2年後に、コルカタのスラム街の中で奉仕の生活をすることが許可され、1950年には「神の愛の宣教者会」が設立された。
青いサリーを身に着けた彼女たちの活動は、瞬く間に世界中の人々が知るところとなり、1979年にはマザー・テレサにノーベル平和賞が贈られている。
社会福祉事業に携わる人々のように見られがちだが、その精神は神の召命に立つ修道者である。いかなる時も彼女の心は「イエスにのみ属し」(同、47ページ)、修道者としての初心を決して忘れることはなかった。
マザー・テレサは彼女が創設した修道会の会員に宛てた遺言の中で次のように問いかけている。
「あなたたちの中には、『あなたとイエス』という真の、個人的出会いをまだしていない人がいるのではないかと懸念します。…イエスがどれほどの愛をもってあなたを御覧になっているかわかっているでしょうか? 本を通してではなく、あなたの心にとどまっていただいて、生きておられるイエスと知り合うようになったでしょうか? 彼のささやきを聞いたでしょうか?」(同、158ページ)
そして、神の愛の宣教者会の精神、その目的をこう言い遺(のこ)している。
「宣教者会の心と魂はこれ、貧しい者たちのうちに隠れておられるイエスのみ心の渇きです。これこそが宣教者会の命が養われている唯一の源です。…わたしたちの周りの生きたイエスの渇きを癒すということは、この会の唯一の存在理由、唯一の目標なのです」(同、162~163ページ)
「イエスの渇きこそは、神の愛の宣教者会の存在目的であり、すべての活動の目的なのです」(同、164ページ)
★おすすめ関連動画★
ザ・インタビュー 第22回
【石丸志信・世界平和宗教連合会長に聞く(その1)「超宗教運動の30年を振り返って」】
ザ・インタビュー 第23回
【石丸志信・世界平和宗教連合会長に聞く(その2)「宗教者の対話を促進する『超宗教フォーラム』」】
ザ・インタビュー 第24回
【石丸志信・世界平和宗教連合会長に聞く(その3)「宗教者の役割と祈りの重要性」】
ザ・インタビュー 第25回
【石丸志信・世界平和宗教連合会長に聞く(その4)「超宗教平和運動への召命」】
---
U-ONE TVの動画を見るにはU-ONE TVアプリが必要です!
無料ですので、ぜひダウンロードしてご活用ください。
ダウンロードはコチラから