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シリーズ・「宗教」を読み解く 266
キリスト教と日本㊺
キリスト教青年運動の興隆

ナビゲーター:石丸 志信

 明治の初頭、「信教の自由」が天賦の人権であるとの理解がまだ芽生えていない時代に、しかも250年もの長い間「邪教」とされて禁止されてきたキリスト教を、命懸けで信奉する青年たちが各地で立ち現れてきたことは、国内外の人々にとって驚くべきことだった。

 西欧列強諸国と肩を並べ得る近代日本国が形づくられていく途上に、横浜バンド、熊本バンド、札幌バンドといった新しい信仰の炎を宿した青年運動が興隆してくる。

 キリスト教においては、信仰復興の大きな波が再び押し寄せてきた時代だった。
 何故にこの青年たちは唯一なる神を信じ、十字架で処刑され復活したイエス・キリストを救い主として信じるに至ったのか。
 偶像崇拝の文化でさしたる宗教教育もなされてないと思う西欧人には不可解だったのだろう。

 内村鑑三は、米国留学時代に礼拝や復興集会に招かれると、度々回心に至る証しを聞かせてほしいと願われている。
 彼は、自らのキリスト教信仰に至る道、キリスト教信仰を持って生きるようになった歩みを振り返り語ることで、両親の生き方の中に自らを形成した価値観・倫理観があり、さらに彼らを育んできた日本の伝統文化を通して創造主を知るに至る道が準備されていたことに気付いていく。


内村鑑三ウィキペディアより

 『余は如何にして基督信徒となりし乎』はまず英文で書かれ、欧州各国の言語に翻訳されていった。
 キリスト教は西洋の宗教にのみあらず、洋の東西を問わず普遍の信仰であり、日本人だからキリスト教は受け入れられないとは決して言えない、と内外に知らしめたかったのかもしれない。

▲『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫)

 内村は後に英語の著作として最後となる『代表的日本人』を出版した。
 キリスト教徒ではない日本人の先人の中にも、西洋に通じる価値観・人生観で世の尊敬を集める者がいることを表明している。

 内村鑑三の墓碑にはこう記されている。
I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God”
(私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために)

▲内村鑑三の墓(多磨霊園)

 「二つのJ」は、愛国心を土台としてこそ世界愛へと通じ、それこそが唯一なる神への普遍的な愛であることを示唆してくれる。



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