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シリーズ・「宗教」を読み解く 265
キリスト教と日本㊹
日本人独自の宣教を目指す教会の出発

ナビゲーター:石丸 志信

 札幌農学校第二期生の中でいち早く「イエスを信ずる者の契約」に署名したのは新渡戸稲造だった。

 彼はもともと東京英語学校時代に英訳聖書を入手しており、キリスト教に対する関心があった。また、同じ南部藩(盛岡藩)出身の先輩佐藤昌介とは以前から親交があり、信頼もしていたので、彼の勧めを受け入れやすかったのかもしれない。


▲新渡戸稲造の像(多磨霊園)

 一方、最後まで抵抗したのが後に日本のキリスト教思想家となる内村鑑三だった。

 なんとしても新入生をキリスト教徒に回心させようと迫る居丈高な一期生の態度を嫌い、また、それに次々に屈していく同級生の姿に孤独を感じ、彼らを日本の伝統に立ち返らせなければならないとまで決意している。そのために、神社でひれ伏して真剣に祈っている。

 異教徒を偶像崇拝者として断罪するキリスト教徒の姿勢に、彼は強い愛国心をかき立てられたからだという。
 その内村も、自らの意に反して「契約」に署名する。

▲内村鑑三(ウィキペディアより)

 署名して契約の内容を実践し始めるようになると、どんなに抵抗してもすでに唯一なる神の存在を感じていたと、後に内村は著作『余は如何にして基督信徒となりし乎』の中で述懐している。

 新渡戸と内村、そして東京英語学校時代からの盟友宮部金吾の三人は、信仰においても学業においても切磋琢磨(せっさたくま)していく。

▲左から新渡戸稲造、宮部金吾、内村鑑三(札幌農学校時代/ウィキペディアより)

 1878年62日、彼らは他の二期生たちと共に、米国メソジスト監督教会の宣教師メリマン・コルバート・ハリスより洗礼を受けた。

▲メリマン・コルバート・ハリス(ウィキペディアより)

 二期生たちは、クラーク博士の直接の薫陶を受けた一期生よりもさらに熱心に祈祷集会を持ち、礼拝も自主的に運営し、次年度に入学した新入生たちの模範ともなっていった。

 自主独立の精神が強く、無教派主義的理想を抱いていた内村たちはそれぞれが教派の教会に属することを嫌い、卒業後の1882年、札幌独立基督教会を設立した。
 外国宣教師に依存せず、経済的にも独立運営できる日本人独自の宣教を目指す教会がここに出発したのである。



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