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シリーズ・「宗教」を読み解く 363
母なるものを慕い求めて⑦
悲しみの母

ナビゲーター:石丸 志信

 神が4000年間、その日を待望しながら準備したメシヤ降誕の一日。女の腹から一人のみどり子が生まれる。
 人類救済の最も重大な出来事の始まりに生命を懸けて貢献したマリアであったのは間違いない。
 しかしながら、イエスの誕生以後、どうも様子が違ってくる。

 福音書には明確には示されていないが、母と子の関係でありながら、神の独り子と主の婢(はしため)と呼んだ婦人の間に隙間風が流れるようになったとしか思えない。
 巡礼の途上でわが子を見失ったり、息子のことよりも、他人の婚礼に気を回したり、ちぐはぐな会話が目に付く。
 そして、最後にイエスの無残なる死の現場に立ち会わざるを得なくなったのだ。

 13世紀に生まれカトリック教会で歌い継がれてきた聖歌に「スターバト・マーテル(Stabat Mater)」がある。

 「悲しみの母は立っていた/十字架の傍らに、涙にくれ/御子が架けられているその間/呻き、悲しみ/歎くその魂を/剣が貫いた…
 愛しい御子が/打ち捨てられて孤独に死に/魂を手放すのを見た/さあ、御母よ、愛の泉よ/私にもあなたの強い悲しみを感じさせ/あなたと共に悲しませてください…
 どうかキリストの死を私に負わせ、/どうかその受難を共にさせ、/そしてその傷に思いを馳せさせてください/どうかその傷を私に負わせてください/どうか私に十字架を深く味わわせてください…」(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 イエスの十字架の傍らにたたずむマリアの悲痛なる心を表わした聖歌で、タイトルは「悲しみの聖母」と訳される。
 救い主でありながら十字架上で生命をささげたわが子の亡きがらを胸に抱き、苦悩に沈む母親の姿は万民の胸を打ってきた。

 しかしこの時、母マリアの心にどのような痛みが走ったのかは誰も知らない。
 幼子を神殿に奉献した時、老シメオンはマリアに「あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう」(ルカによる福音書 第2章35節)と言った。
 その言葉が30年余り後のこの日、彼女の心に再び浮かび上がってきたことだろう。

 このかたは、不慮の事故で死に至ったのではなかった。
 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハネによる福音書 第3章16節)
 創造主なる神の愛の結晶として送られた救い主だったのに、彼を迎えるべき民が、イエスを怪しみ拒絶し、死に追いやったのだ。

 そこに至るまで、この母は何をしたのだろうか。このかたを守るために自らを犠牲にしようとしたとは福音書には明示されていない。
 むしろイエスの言動を怪しみ疎んではいなかったか。

 死を遂げたわが子を見て初めて自らの過ちに気付いた痛み。その痛みほど、心を刺し貫いて、耐え難くつらいものだったことだろう。
 保護すべき責任を怠った故の結果を目の当たりにして、後悔の念を抱いても、もはや手遅れだった。



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