2025.06.04 22:00
内村鑑三と咸錫憲 26
自らの死によって民族の精神を生かした李舜臣
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
このシリーズのスピンオフとして、咸錫憲と文鮮明総裁という、二人の思想的巨人の共通点を探るシリーズの3回目である。
今回は義人の死によってもたらされる「救済」という思想について扱う。
前回は咸錫憲が「死六臣(사육신)」に関して、「正義の祭壇の供物」という解釈をしていることを紹介した。
これは明らかにイエス・キリストとの類比において語られている。
咸錫憲は以下のように述べている。
「そこで彼らは、千年前のイエスが民族の精神と生命をむしばむサタンの本営を爆撃するためにわが身を肉弾として投じたように、世祖の朝廷に向かって六個の肉弾を束にして投じた。六臣の端宗復位謀議事件がそれである」(『意味から見た韓国歴史』、205ページ)
「まさに彼らは韓国のために不義の代価を支払った人たちである。…踏みにじられた義に対してその代価を要求するのは、義の根源であるハナニム(하나님/韓国語で“神様”の意味)自身である。それゆえ、それは犯すことのできない鉄則である」(同、208ページ)
これと似た発想は、『原理講論』の「イエスを中心とする復帰摂理」に見いだすことができる。
すなわち、サタンは自己の最大の実権を行使してイエスを十字架で殺害したのであるが、イエスの肉身をサタンに引き渡された神は、その代償として神の最大の実権を行使して死んだイエスを霊的に復活させ、人類の救いの道を開かれたのである。
このように義人にあえて不遇な死を与えることによって民族を精神的に生かすという解釈は、「壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱(わらん)」で活躍した李氏朝鮮の武将である李舜臣(イ・スンシン)に対してもなされている。咸錫憲は李舜臣に対して最大限の賛辞を送っている。
「わたしは、彼をハナニムが遣わした人であると信じるゆえに、彼を考えながら感激の涙を禁じることができない。彼は、ハナニムがこの国の民のために、この踏みにじられた民をたすけるために立てた人であった」(同、239~240ページ)
「七年戦争に功労があるとすれば彼が第一の功労者であるが、どうして彼は凱旋将軍になれず、最後のたたかいで悲壮な殉死を遂げなければならなかったのか? なぜ、功を立てるだけで栄誉を得ることはできなかったのか? それは永遠の勝利者となるためだ。彼は受けるために、享有するために存在する者ではなく、死ぬために、ささげるために来た者であった」(同、240ページ)
この解釈は、「六臣の使命は最初から、成功にあるのではなく、やはり死ぬことにあった。彼らは死ぬために選ばれたのである」(同、208ページ)と同じく、イエス・キリストは死ぬために来たというキリスト教の解釈と軌を一にするものだ。
この部分に関しては、統一原理のメシヤ論や予定論とは異なっており、統一原理はイエスの十字架の死は神の第一次的な予定であったとは考えていない。
しかしイエスの死が避けられない状況となった時、神が2次的な摂理として、イエスの死によって人類を救済しようとした部分においては、解釈は一致している。