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内村鑑三と咸錫憲 25
咸錫憲の蕩減復帰的な歴史観

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 前回から咸錫憲と文鮮明総裁という、二人の思想的巨人の共通点を探る作業に入った。
 初めに指摘した共通点は、終末論的な時代認識であった。第二の共通点は、蕩減復帰的な歴史観である。

 咸錫憲は以下のように述べている。

 「歴史とは何か? それは人がハナニム(하나님/韓国語で“神様”の意味)を求める記録であり、ハナニムがその子を求める記録である」(『意味から見た韓国歴史』、46ページ)

 「とげのないバラがないように、痛みなくしてハナニムに会うことはできない。それゆえ人類の道は苦しみの道であり、歴史の進行は受難の過程だ」(同、47ページ)

 「人類がハナニムを求めるということは、ハナニムの側からいえば人類を教え導くことである。ハナニムを求めるのは人の本性ではあるが、その本性はハナニムから与えられたものである」(同、51ページ)

 これは堕落によって分断されてしまった神と人間との関係を回復するために、蕩減条件を立てながら復帰の道を歩むのが人類歴史であるという、統一原理の思想によく似ている。

 咸錫憲は韓民族の歴史を失敗の連続であると見ており、その罪の代価としてさまざまな苦難や犠牲が現れると解釈している。その一例が「死六臣(사육신)」である。

 「死六臣」とは、世祖によって王位を追われた端宗の復位を図ろうとして処刑された李氏朝鮮時代の6人の政治家のことで、後の時代になって忠義に殉じた臣下としてたたえられるようになる。
 咸錫憲は彼らの死について以下のような解釈をしている。

 「ハナニムは六臣を正義の祭壇の供物としたのである。この民族のために、供物として要求したのである。それゆえ彼らは死なねばならなかった。死んでまず、韓国のために不義の負債を返さなければならなかったのであり、つぎに、義人の種を生かさなくてはならなかった」(同、208ページ)

 「一人のあやまちの代価をすべての人がつぐなわなければならないし、一時代の失敗を次の時代が取りもどす責任を負うのである。それゆえに歴史なのである。…六臣は、世祖とその徒党が犯した罪の代価であった」(同、209ページ)

 もう一つの例は「壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱(わらん)」、日本でいうところの豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)である。
 これについて咸錫憲は以下のように述べている。

 「これは韓国を審判するために最初から準備されていたのである。われわれのなすべきことはその軍隊、その兵器を打ち破ることよりも、戦争それ自体、艱難(かんなん)それ自体に打ち勝つことであった。そこで耐え抜くこと、それを呑み込み、消化し、その炎と血のふいごの中で国民精神を深め、清めることであった。国難のよってくる原因である罪悪の道から脱出することであった」(同、247ページ)

 咸錫憲は「蕩減復帰」という言葉こそ使っていないが、彼が語っていることの本質は統一原理の「蕩減復帰」とほぼ同じである。