2025.03.25 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 359
母なるものを慕い求めて③
聖母マリアと日本
ナビゲーター:石丸 志信
日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、2年余りの宣教活動を終えて日本を離れた後、この間の活動報告を書簡にしたためインドのゴアにいるイエズス会員に送っている。
その中で、初めて日本の鹿児島に上陸した時のことをこう記している。
「こうして神は私たちがあこがれていたこの地にお導きくださり、1549年8月、聖母の祝日(15日)に到着したのです」(『聖フランシスコ・ザビエル全書簡3』河野純徳訳 平凡社、95ページ)
この日は、カトリック教会の伝統では聖母被昇天の祝日に当たる。
聖母被昇天とは、聖母マリアが人生の終わりに、肉身と霊魂が共に天の栄光に上げられたことを記念する日となっている。
当時はまだ、「聖母被昇天」は信ずべき教義として認定されてはいなかったが、聖母マリアに対する特別の崇敬心を持ってその臨終の日を記念する伝統はあった。
ザビエルはこの日に日本に到着したことに深い感慨を覚えたのだろう。パリのモンマルトルの丘で同志らが共に集い、一つの使命に生きることを誓ったその日も8月15日だった。
それから15年後の同じ日に彼は極東の日本宣教のため、この地に足を下ろしたのだ。
「精神王国」とも呼んだ日本が、遠くあこがれていた時よりも実際に足を踏み入れてみて、その精神性の高さに驚いている。
そして彼は、聖母マリアとイエス・キリストを通して日本国の護(まも)りと日本人の救霊のために祈った。そして、宣教活動を開始した。
サビエルの祈りは、聖母マリアと日本とを特別な絆で結んだように思える。それは日本にキリスト教本来の使命を果たす責任を担わせることにもなった。
後にローマで叙階した日本人司祭ペトロ岐部(きべ)が、弾圧の続く日本に宣教師として戻る直前に述べた言葉に現れてくる。
「将来日本全体がいち早く平和になって…主キリストにふさわしい花嫁になること」
(『日本、キリスト教との邂逅~二つの時代に見る受容と葛藤』太田淑子編 オリエンス宗教研究所、167~168ページ)
くしくもザビエル宣教400年が近づく1945年、日本が敗戦を迎えたのも8月15日だった。
この終戦の時を早めたのは、長崎の浦上天主堂の真上で炸裂(さくれつ)した2発目の原子爆弾だった。
聖母マリアを慕いながら献身し、戦争終結のためならば自ら犠牲になることもいとわないと、この聖堂で祈った修道女らが真っ先に命をささげることになった。
赤レンガの聖堂は崩れ、天主堂を飾る聖母マリア像は焼けただれてしまった。
苦難に満ちた日本キリスト教史と聖母マリアとの間に何か深いつながりを感じさせるものがある。
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