2025.03.18 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 358
母なるものを慕い求めて➁
聖霊の働きを求める
ナビゲーター:石丸 志信
前回引用した「聖霊の苦労に対する人間の責任」に関する文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁のメッセージは、次のように続く。
「…私によって聖霊の苦労が終わり、イエス様の苦労が終わり、神様の苦労が終わってこそ、私たちのために罪を引き受けて苦労された天の復帰摂理のみ旨が終結するのです」(『イエス様の生涯と愛』文鮮明著 光言社、280~281ページ)
「今や私たちは、どのようにすべきでしょうか。私たちはイエス様と同じ立場の新郎格主人公と、聖霊と同じ立場の新婦格主人公を見つけなければなりません。そうして贖罪(しょくざい)の恩赦を受けなければなりません。そして聖霊とイエス様をつかんで『聖霊と聖子(せいし/イエス・キリスト)、そして神様よ! 祝福してくださいませ』と言えなければなりません。そのような皆さんとならなければ、イエス・キリストの二千年の苦労と聖霊の二千年の苦労は、この地上で完結させることができないのです」(同、282ページ)
これは1956年7月11日のメッセージであるから、文総裁にとっては、まだご聖婚の時を迎えていない段階で語られたものだ。
この時は、「小羊の婚宴」がなされる前の時代圏であるため、本来、2000年の歴史を経てきたキリスト教が備えるべき信仰姿勢とでもいうべき内容を説いているのかもしれない。
キリスト教の二千年は、イエス・キリストと聖霊によって新しい命を得た者たちが、イエス・キリストの生涯と弟子たちの生き方に倣って、神の子として完成することを目指して歩いてきた人生であったといえる。
その完成の時がいつ訪れるのかは不明であったとしても、その時が来る前には、再び来られる主を迎えなければならないので、再臨を待望しながら生きてきた。
来るべき主は新郎の立場で来るかたであるから、キリスト教会はその相対に立って彼を待ち望み、キリストの花嫁にふさわしい心を育んできた。そのために聖霊の臨在を求め、聖霊の働きを祈ってきた。
キリスト教会の伝統では、聖霊を母なるかたと呼んだことはないけれども、「慰め主」と呼び、「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください」(聖霊の続唱/カトリック中央協議会)と、聖霊の降臨を祈願してきた。
その祈りの中で聖霊の働きをこう表現した。
「苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。…汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方」(同)
キリスト教徒がかつて体験し、これからも継続的に働かれることを求めた聖霊の働きは、父性的なものであるよりも、むしろ母性的なものであった。
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