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シリーズ・「宗教」を読み解く 303
修道院の祈り 1
観想修道院、祈る人々

ナビゲーター:石丸 志信

 青年時代に、観想修道院の黙想の家で数日間祈りに専心する時間を持ったことがある。
 3世紀半ばに始まる隠修士の求道生活は、次第に形を整えながらキリスト教2000年の歴史を導き支えていく修道生活となり、さまざまな形態の修道会が設立されていった。

 中世以来、ローマ教皇が認可する修道会は、おのおのの会によって目的が掲げられ規則が定められている。
 その中で、観想修道院は、厳格な生活の規範にのっとった共同生活を営み、祈りに徹することで、キリスト教世界の人々を支えてきた。

 修道者は、祈り歌う時に声を発する以外、日常的な会話は禁じられている。また、修道院に献身すると生涯修道院の中で生活し、外部との接触を断つことになった。生きながらにして殉教の道を行くような生活が修道者の生き方となった。
 禁欲生活といわれるが、本質的には、「キリストの生涯に倣う生き方」に徹することであった。

 修道体験に入った当初は、社会と隔絶したこのような生活にどのような意味があるのかと疑問を持った。
 イエス・キリストは復活された後、弟子たちに「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコによる福音書 16:15)と言われたのに、その使命を果たせないだろうと考えたからだ。

 ところが、数日過ごす中で、この生活形態にも深い意味があると感じられた。
 修道者たちは自分自身の救いを求めて修道院に身を投じたのではなかった。神に賛美をささげながら、隣人のため、為政者と国民のため、世界のために祈ることに専念していたのだ。

 「キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである」(ローマ人への手紙 12:5)とパウロが言うように、イエスを救い主キリストと受け入れた信仰共同体は、一つの体のごとく世界に広がっている。

 そう見た時に、この世界に広がる信仰共同体に絶えず血液と酸素を送り込む心臓のような役割をしているのが、観想修道ではなかったかとの思いに至った。
 人知れず働き続け休むことはない一つの器官は、人間の生命にとってなくてはならないものである。

 イエスは「隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」(マタイによる福音書 6:6)とも言われた。
 世人の知らない所で祈る者がいなければ、この世に生命の息吹はもたらされないのだろう。



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