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日本人のこころ 82
『宇治拾遺物語』

(APTF『真の家庭』303号[20241月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

わらしべ長者
 『宇治拾遺物語』で思い出すのは、私が30代の頃に同僚だった岩手大学出身の赤司秀明さんです。彼がよく話していたのが同書にある「わらしべ長者」の物語でした。

 昔、ある貧乏な男が、真面目に働いても暮らしが良くならないので観音様に願をかけたところ、「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」とのお告げがありました。観音堂から出ると石につまずき、転んだ男の手に触れたのが1本のわらしべでした。

 男はそのわらしべを手に持ち、顔の周りを飛び回っていたアブを結び付けて歩いていました。すると、大泣きしていた男の子がアブの付いたわらしべを欲しがり、手を焼いた母親がミカンとの交換を申し出たので、彼はわらしべを男の子に渡し、ミカンをもらいました。

▲柳田國男著、岡本帰一画『日本昔話集』上「わらしべ長者」より

 さらに歩くと、のどが渇いた商人が男のミカンを欲しがり、上等な反物との交換を持ちかけてきたので、彼はミカンを譲り、反物を手に入れました。

 旅を続けた男が次に出会ったのは、先を急ぐ侍に急病の愛馬の始末を命じられた家来です。彼が家来に馬と反物との交換を申し出ると、家来は反物を受け取り、馬を渡して侍の後を追いました。男が馬に水を飲ませると、元気を取り戻したので、彼は馬に乗って旅を続けます。

 男が大きな屋敷に行き当たると、ちょうど旅に出ようとしていた屋敷の主人が彼に屋敷の留守を頼み、もし3年以内に自分が帰らなかったら屋敷を譲るので、代わりに馬を借りたいと言うのです。彼は承諾し、主人は馬に乗って旅に出ました。

 しかし、5年待っても主人は帰ってこないので、屋敷は男のものになり、裕福な暮らしを手に入れました。

 観音信仰の功徳を説く仏教説話で、現世利益的な話になっていますが、それが主眼ではありません。この説話の作者は、高望みすることなく、目の前の小さなことに誠実に向き合っていれば、やがて良い方向に導かれることを教えようとしたのでしょう。

 赤司さんは大学院で農業土木を修め、本来ならエンジニアか研究者になるつもりだったのでしょうが、ある学術団体に就職し、私と一緒に事務管理的な仕事をしていました。その後、私が大学教授らと立ち上げた学会を引き継いだ彼は、それを日本学術会議の協力学術研究団体に引き上げ、福祉分野の研究で実績を上げるようになりました。そして自身も研究成果が認められ、応募した東日本国際大学の助教授に採用され、後に教授になったのです。まるでわらしべ長者を地で行ったような展開ですが、2013年に急病のため62歳の若さで亡くなりました。

 夫人によると、赤司さんは宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」が好きで、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲の束ヲ負ヒ」とよく口ずさんでいたそうです。私より3歳年下でしたが、学ばされることの多い人でした。

雀の恩返し
 鎌倉時代前期に成立した『宇治拾遺物語』の作者は不明で、先行する『今昔物語』と同じ話も多く収められています。舞台は日本のみならずインドや中国と広く、仏教説話と世俗説話、民間伝承から成り、民間伝承には「わらしべ長者」や「雀の恩返し」「こぶとりじいさん」などなじみ深い説話があります。

▲高橋貢、増古和子著『宇治拾遺物語』全訳注(講談社学術文庫)

 信心のすすめというより、自由な視点からの、猥雑でユーモラスな話が多いのが特徴で、中世という時代の気分を反映した「庶民文学の最高峰」と評価する人もいます。「雀の恩返し」は次のような話です。

 優しいおばあさんはある日、腰の折れた雀を助け、水や米をやったりしていろいろと世話をしました。そのうち、ケガも治り元気になった雀はどこかへ飛び去ります。しばらくして、やってきた雀が、世話になったお礼だと言って種を置いていきました。

 おばあさんがその種を庭に埋めたところ、芽が出てどんどん生長し、やがてたくさんの瓢箪(ひょうたん)がなりました。その瓢箪を軒先につるしておいたら、瓢箪から米がポロポロと出てくるではありませんか。いくら取り出しても米は尽きず、おばあさんは食べ物に困らなくなりました。

 それを見ていた隣の欲の深いおばあさんは、怪我をした雀を探しました。しかし見つからないので、米をまき、食べに来た雀に石を投げて怪我をさせ、介抱して放したのです。

 しばらくして、その雀が種を持ってきたので、おばあさんが庭にまくと、生長して瓢箪がなりました。おばあさんは瓢箪を収穫して軒先につるしていたのですが、いつまでたっても何も出てきません。頭にきたおばあさんが斧で瓢箪を叩き割ると、毒虫などがウジャウジャ出てきて、おばあさんは殺されてしまいました。

 これは「舌切り雀」の元にもなった話で、人をうらやむことの愚かさを教えています。

 人はなぜ物語を作るのでしょう。それは、物語にすると覚えやすく、伝えやすいからだと思います。そもそも人生そのものが、私による私の物語作りなのですから。

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