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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(136)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
十、約束と誓い

▲金元弼先生

神は約束を守る

 先生は必ず約束を守られる、ということについてお話ししたいと思います。

 何回も皆様にお話ししましたが、約束というのは必ず相対性をもっています。約束は一人でするのではなく、必ず二人の間でなされます。あるいは、たくさんの人の前で約束します。そこで、私たちは二人でする約束について知らなければならないことがあります。

 約束は、両方がプラスになるという目的を中心として、します。二人の人が結婚するのもそうですし、また社長と雇用されている人との間もそうです。国を治める責任者と国民の間もそうです。神と人間の間にも一つの約束がありました。それは神の幸せのためだけの約束ではなく、人間の幸せのためだけの目的でもなく、神と人間の幸せを目的にしたものでした。心と肉身の関係も同じです。

 すべてがお互いの喜び、お互いの幸福を目的にしたものであることを忘れてはなりません。それぞれの個人のための目的ではなく、お互いのための目的ですから、「全体目的」とか「全体のために」と表現されるのです。主体と対象という二者にとってプラスになる、全体の目的というものが考えられます。

 さらに、時間性を考えなければなりません。約束は、ある時期までに果たすという時間性をもっているので、ある時期になって全部終わるのです。ですから最初に主体と対象の関係、次にその目的、三番目に時間性、この三つのことをいつも考えなければなりません。

 では、二者の約束がいかに守られ、またいかに破られるかについて話してみましょう。

 まず、神と人間との約束から見てまいりましょう。この約束は、神と人間は主体と対象の関係ですから、このように当てはまります。二番目には、約束というものは、人間だけが幸せになる、神だけが幸せになるというのではなく、神も人間も幸せになるという創造目的があり、それは創造理想の実現ということでした。三番目の時間性について言えば、その約束は永遠性をもつものです。

 その次に皆さんが考えなければいけないことは、神と人間の約束を立証する天使がいたように、二人の約束を認める立場の者がいなければなりません。それが天使です。夫婦が約束するとしましょう。そこには必ず、二人の約束を立証する人がいなければいけません。国と国との条約も同じです。

 人間は神との約束を守れませんでした。ところが神には永遠性があるゆえに、人間は約束を守らなかったけれども、神は約束を守りました。そうしたら、どうなるでしょうか。お互いが破ったときに、完全に約束が破られたということが決定されます。一方は守り、他方は守らないのでは、破られたという決定はできません。世の中でも、片方だけが破り、他方は守るとするならば、離婚はあり得ません。二人とも、よろしいという形になって、初めて確定されるのです。

 神と人間との約束で、人間は破っても神が守るとするならば、神の約束はどうなるのでしょうか。創造理想の実現はどうなるのでしょうか。創造理想の実現という神の目的は、そのまま残っています。人間復帰の摂理がなされ得るのは、神も人間も約束を守った時です。神も同時に約束を守らないという立場に立つならば、永遠に理想の実現はあり得ないでしょう。

 人間が守らなくても、神が守っていくとするならば、どういうことになるでしょうか。目的というものは、永遠に立てられたものです。その永遠の目的に対して、神が永遠に守るならば、対象としての人間は、代わりの人を立てることができるというのです。人間同士でも、一方が約束の目的を中心として変わらずに守るならば、ほかの人を代わりに立ててでも、最初の目的を実現するというのです。

 ですから、アダムだけでも神の約束を守ったとするならば、エバを再創造できたでしょう。何の意味か分かりますか。ところがアダムは約束を破ったがゆえに、二人とも再創造することができませんでした。そこで神は蕩減復帰の摂理をなさいました。その当時、アダムだけでも残れば、エバを全部なくして、新しく再創造することができたというのです。それは私たちがよく分かっているように、完全なプラス極が出てくると、自動的にマイナス極が生まれてくるからです。

 人間が約束を守らなくても、神は永遠に守りますから、人は代わっても神の理想の実現は可能だということが分かります。ですから、ある面から見れば、神の6000年の人類復帰摂理は、神が人間との最初の約束を守り通しているという歴史にもなるのです。そういう神の道を、先生も歩まれるのです。

 堕落したゆえに、私たちが約束する時は、私と相手のほかに、神とサタンが一緒にいることを忘れないでほしいのです。メンバーたちがこの道に入って、先生の前に約束するとしましょう。そこには必ず神もいれば、サタンもいるのです。ところが、先生と私たちの約束は永遠の約束です。ただこの世にいる時だけ一緒になりましょうという約束ではありません。

 時々、私たちは、先生との約束を破ることがあります。先生の前で神に誓った霊能者たちは、その約束を忘れました。ところが、先生はそういった方に対しても、約束を破棄しませんでした。その人が先生との約束を破ったことをよく御存じでありながら、先生は相変わらずその人のためにお祈りし、約束を守られました。さらに、その人が約束を守らないばかりでなく、かえって反対したとしても、先生はその人との約束を守りました。そうなった場合、その人の代わりにほかの人を立てても、先生との約束を守らせていくのです。

 私たちは、相手が約束を守らないと、「あなたとは絶交します」と宣言して別れます。国際関係も、そうなって戦争が起こるのです。神と人間との間、あるいは先生と私たちの間において、もし神がそして先生がそうなさるならば、私たちはどうなるのでしょうか。そこでは永遠も理想も考えることができないでしょう。

 リーダーと教会員との間において、リーダーが約束を守らないことがたびたびあったときに、教会員はどうしたらいいのですか。一つ私たちが忘れてはいけないことは、相手が約束を守らなくても、こちらが守ったならば、前よりもっといい相手が必ず出てくるということです。そのことに対して、確信をもってほしいのです。

 教会員とリーダーとの間で約束したにもかかわらず、教会員は守り、リーダーが守ってくれなかったというときに、その後もその教会員が約束を守っていくならば、もっと高い次元でそれを補ってくれる主体者が、必ず出てくるということです。もっといいリーダーが出てくるということです。メンバーが約束を守らない時には、前よりもっといい教会員が現れるということです。それはなぜでしょうか。

 相手が約束を守らないときには、こちらも守りたくなくなります。しかし、死んでも守りたくないのを守ることによって、自己の限界を超えるからなのです。

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 次回は、「約束の永遠性と誠意」をお届けします。


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