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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(135)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
九、天情と人情

▲金元弼先生

分別するのは一体化のため

 1960年以降になり、先生はたびたび氏族復帰のことを教えてくださいました。今まで完全に切ってしまっていた関係を、これから復帰しなければいけないということは、ほかの人にはどうか分かりませんが、私としては非常に大きな仕事でした。分別するもともとの目的が復帰することであったと、はっきり分かってきました。

 分別する時代は、分別そのものに目的があるのではなく、統一というところに目的があることがはっきり分かったのです。私たちが神の人となるために、こういう厳しい分別の時代があるということを忘れてはなりません。

 私たちが、兄弟の中にあって、間違ったことを見たとしましょう。私たちはその兄弟が分別できるように、厳しく教えてあげるのは当然だと思います。また厳しく分別するように教えなければいけません。分別する時は、厳しいものです。

 分別というのは、誰と誰を分別することでしょうか。何を分別することですか。間違っている人を分別してあげるとは、どのようにすることですか。何を分別することですか。(「悪いことをする思い」、「邪心」)。ですから、サタン的な要素を厳しく分別してあげなければいけないでしょう。分別する目的は何でしょうか。(「サタンを分別するため」)。誰と一つになることですか。(「神」)。

 ところが、「こうしてはいけません」とか、「こういうふうにしましょう」と言う人は、言う前の気持ちが必ず悪いのです。それは、真の授受作用がないからです。気持ちが悪いというのは、早く授受作用しなさいということなのです。ですから、授受作用するためには、分別してあげなければならない部分を取り除かなければなりません。そうしたら一体化するのです。その人が好きになるのです。

 ところが、現実はそうではありません。理論的にはそういう結果が出なければいけないのに、結果として、もっと嫌になるのです。

 統一教会を理解していない人たちに会うと、皆さんは一体化できません。ところが、その人の心を変えて、統一教会に対して正しく理解してもらうと、その次にはどうなりますか。一つになります。その人が好きになります。

 私たちを理解できないで反対していた時には、皆さんは一つになれませんでした。その人に対して気持ちが良くなかったからです。私たちがその人に原理を教え、教会を教え、神の道を教えるということは、結局は理解できない部分を取り除いて一体化するためです。人に話してあげるのは、一体化することに目的があります。

 皆様が忠告してあげても一体化できないということは、 目的を達成していないということです。ですから、一体化までが目的地だということを、はっきりと分かってほしいのです。話をしてあげただけで、その人に対する忠告が終わったと考えてはいけません。神のみ言(ことば)を中心として、私と相手が一体化して非常に気持ちが良いという立場まで到達しなければいけません。

 皆様が兄弟に、「こうしなさい」と話したとしましょう。そうしたら、その人は、「はい」と答えます。しかし、それで終わったと考えてはいけません。必ずその人が喜んで帰るようにさせなければいけません。涙を流して出て行ったりさせてはいけないのです。涙を流しても、出て行く時には喜んで行くようにしなければいけません。話した人も、その人に対して、本当に良いという心が残っていると言えなければなりません。

 先生はたびたび、私たちをお叱りになる時があります。しかし、そのあとでいつも、この人が本当に喜んでいるのかいないのか、感謝しているのかどうかを見られるのです。それで、たびたび慰めてあげることがあります。ですから私たちは、いくら叱られたとしても、いつもいつも先生に対して、有り難いという感謝の心が出てくるのです。

 先生も牢屋の中で、あのようなかたちで帰ったお母様を考えると、天情と人情をはっきり区別しなければならない世界があるというのです。お母様の涙を見る時には、先生でも弱い心が起こるのです。先生は、誰よりも人情が強いだけに、そういう心があるのです。先生も神からこういうふうに訓練された、ということをお話ししてくださいました。

 これから先は、いくら近いものでも、長い間付き合ったものでも、神のみ旨を中心としては、厳しく切らなければならなくなるでしょう。20年、30年、50年、長い間付き合って、深い情の関係をもっている人であっても、神のみ旨を中心としては、厳しく分別しなければならない時があるでしょう。その時に切ることができるかどうか。神は先生をそのように訓練されるというのです。
 皆さん、サウル王のことを考えてごらんなさい。神様はサウル王に、「アマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ」(サムエル上153)とおっしゃいました。しかし、サウル王はそうしないで、いろいろな貴重なものを持ち帰ったのです。サウル王が神の言いつけを守らなかったというのは、そういうことでした。分別の時というのは、厳しいものです。神がこういうふうにお告げになるのも、先生が人情の深いお方だから、なおさらのことだと思います。ですから先生も、牢屋の中でいろいろな試練がありますけれども、もう一つの試練は、お母様の情をいかに乗り越えるかということであったと、私は考えております。

 分別の目的は、何ですか。(「統一すること」)。神と一体化することは言うまでもないですが、その次に、忠告する人と一体化することです。いつも自分というものが介在します。私があなたに、「こうしなさい」と話したとしましょう。そう言う前の私の気持ちは、一体化できない状態ですので、いい感じではありません。その人自体が嫌になるのではなく、先ほども話したように、早く神の道を中心として、神のみ意(こころ)を中心として一体化しなさいということなのです。ですから言う前より、言ったあとのほうが、もっとその人に近くならなければいけないということです。それをはっきり分かってほしいのです。

 人間は、分別してあげよう、よくやってあげようと思って始めるけれども、往々にして結果は反対の状態になるのが現実なので、先生の路程の中で、注意しなければならないことをお話ししました。

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 次回は、「神は約束を守る」をお届けします。


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