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心情開拓
心霊を育てる生活原則(127)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

9 変貌山上のイエスとペテロ
(1974年1215日 東京教会)

▲李耀翰先生

環境に負債を与える者に

 初めのころは、夢を見ても一々報告し、相談した日々を過ごしたけれども、今は相当自分に問題をもっておりながらも、相談したい人をもっていない時が来た。今がそうなのです。なぜか。3年越えれば主体者がいない。引かれる人がいない。ほとんど3年越えれば、慕う、侍る主体を失うのです。それは成長するからです。

 初め来た時は、みな私より素晴らしい人たちだと、こう思ったけれども、一緒に生活して、3カ月がたってみると、「別に私よりましな人は、あまりいそうもないなあ」と思う。(笑い)それは自分が成長したからです。そして、みな方向は同じようだが、お互いに分離しやすい人ばかり集まっていることが分かるのです。

 これが統一か、こんなにも砂漠みたいにばらばらか、世間でもこういう社会はないだろうというふうに言われています。(笑い)というのはなぜかというと、自分が徹底したみ言(ことば)によって、実っていくからです。反発しながら、その中で、何かを兄弟のために、自分を通じて補っていく、お互いに創造力を発揮していく時なのです。自分を通じて創造力を与える時、初めはみな素晴らしい人と思っていたのに、自分が負債になっていく時、兄弟とその環境が負債になっていくのです。

 しかし自分でなくてはならない面を発見した時には、自分を通じて何かをプラスしてやらなくてはならない。その時が実体基台です。自分は謙遜(けんそん)に殺して相手を重要視するのですが、どうも自分は骨のない人間のように見られる。「ああいう者はいじめてもよい」、「利用してもよい」。私たちの中で、そういうふうに無視されるかもしれない。

 しかし、そういう時は、自分と神との関係をしっかりもつのです。

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 次回は、「だれに主管されるべきか/霊的基台は兄弟関係から」をお届けします。


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