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心情開拓
心霊を育てる生活原則(126)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

9 変貌山上のイエスとペテロ
(1974年1215日 東京教会)

▲李耀翰先生

「原理」を知ること

 不信のペテロを見せて、イエス様を通じてのこれからの行く道、地上で行く道、私たちの行く道、家庭的関係、食口(シック)関係、アベルとカインの関係を教えています。信仰基台と実体基台の問題です。

 イエス様は信仰基台と実体基台を家庭で成就しようとし、社会的に成そうとしました。しかし、結局霊的にだけ成就して十字架の道を行ったのです。

 だから私たちは、今関係している区域に責任をもたなければならないのです。み言(ことば)を知れ。「原理」を知れ。人から打撃を受けるな。環境から打撃を受けてはいけないのです。

 イエス様は、自分の家庭に打撃を受けなかったのです。素晴らしいマリヤの信仰が、あんなに崩れたのに打撃を受けなかった。自分と神との関係を生命視してきたイエス様です。洗礼ヨハネに捨てられたからといって、打撃は受けなかったのです。ユダヤ人に捨てられたからといって、打撃を受けなかった。なぜかというと、自分と神との関係が徹底していたからです。また、自分の価値が国家的、世界的だということを確信していたのです。

 私たちは、環境に相当支配され、認められる雰囲気の中では興奮して、力を得やすいのですが、しかし全然通じない場面の中では、自分の価値をもって、自分が自分に力を与えるという面において、私たちの未来をふさいでしまうのです。いくら環境が悪くても、自分と神との関係の動機をどういうふうに保っていくか。地上になかったら霊的に維持していかなければなりません。み言と授受しながら暮らさなければならないのです。

 イエス様みたいに探し回らなければならないのです。授受する相手をつくり、だれかやってほしいと考えるより、自分を動機として、自分を一粒の麦として芽生えていかなければならないのが、現世においての私たちの使命ではないか。そういうことを考えてみました。

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 次回は、「環境に負債を与える者に」をお届けします。


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