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心情開拓
心霊を育てる生活原則(128)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

9 変貌山上のイエスとペテロ
(1974年1215日 東京教会)

▲李耀翰先生

だれに主管されるべきか

 イエス様はその家庭に尽くしました。しかしその家庭もマリヤも、自分の子としてしか見なかった。神との関係を、ただ平面的に見て、自分の子だと考えたのです。外典のヤコブ福音書の内容です。洗礼をさせたり、水をくませたり、マリヤはイエス様に命令したり、教会へ行けば、呼んできたり、こういうふうに主を主管したのです。それでもイエス様は、黙って家庭に尽くす期間を終えたあとには、神の命令によって出掛けました。自分が嫌だから出掛けたのではないのです。神の命令によって出発したのです。

 だから転換は、私がするのではない。私はどんな場合においても、いかにその場になくてはならない影響を与えるかが私たちの使命です。その期間が過ぎたなら、その基準で、その雰囲気では必要ないから行け、と神様自体が私を主管してくださるのです。

霊的基台は兄弟関係から

 神様は、私たち一人一人をよく知っていらっしゃいます。私たちはそれを体験しなければなりません。縦的に体験するのです。イエス様は家庭で、あるいはヨハネの団体で、それから祭司長を通じて尋ねて回った人々に全部否定されても、自分一人は人を愛しながら歩んだイエス様の信仰は、かえって縦的関係がもっと強くなるばかりでした。イエス様の背後は、霊が全体を占領していました。モーセもエリヤも、霊界がイエス様の基台となってしまったのです。この路程を勝利しなければ、霊的に勝利できないのです。

 人間関係を間違ったなら、霊的に認められないようになっているのです。人間関係がまずいと、霊的に絶対認められないのです。だから、いくら悪い環境にあっても、それに刺激を受けてはならない。損してはならない。そうしないと私は転換期に、共に主管されないのです。

 私たちの歩いてきた路程において、兄弟関係において、どれほど尽くしてきたか。神と自分との関係をどれほど大事にしてきたか。

 イエス様の路程にはこういう原理的な内容があって、彼は最後まで勝利していきました。イエス様の姿から、ペテロを通じて私たちが今まで歩んだ内容を再び反省して、これから新しい時を迎えていきたいと思います。

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 次回は、「信仰生活の味わいを知るには」をお届けします。


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