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心情開拓
心霊を育てる生活原則(120)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

8 永遠に生きる信仰

▲李耀翰先生

マルタの見方

 私たちは、人を習慣的に取り扱うことが多いのです。だから、私たちはよく知っている人、小学校の時からよく知っている人には、なかなかみ言(ことば)を伝えにくいのです。なぜかというと、小学校当時と同じと思って、「おい、お前、今どういう意見をもって、どういう位置で、価値をもったのか?」と言うからです。

 歳は同じだけれども、今まで会わなかった期間、統一教会に来て特修を出て、伝道を3年くらいしたあとに会った時には、その人は子供の時は知っていたけれども、この3年間の私たちは知らなかったのです。ですから、謙遜(けんそん)になって、「どんな内容をもったのだろう、どんな価値をもったのだろう」という思いで尊敬すれば、私たちはその友達に昔の因縁を土台として自分の秘密が話せるようになるのです。それなのに、小学校時代に遊んだ者と決定して扱うものだから、言おうとしても言えない。言っても、「でっかいことを言うな、いつそんな哲学者になったのか。世界的に人類を救う? でっかいこと言いやがって」と、かえって冗談話になってしまう。

 だから皆さんも、み言を悟ったあとに、父母のところへ行ってはいけないのです。なぜなら、み言によって神様と因縁を結んで、神にとって貴重な自分だということを信仰して帰ったのに、自分の価値を知らない人は、以前と同様に自分の産んだ者として、無価値に取り扱うからです。入信したあとには、以前知っていた者と会っても、かみ合わないのです。だから会わない。

 ではだれを通じて会うか? 必ず中間の人を通じて会うのです。お父さんお母さんには、自分が会わずに自分の友達を通じて話すのです。両親の知らない、自分の親しい友達に家に行ってもらうのです。その人が何回も行って、あなたの息子であるけれど私は先生として侍るんだという心情でもって、「あの先生、私たちの教会長……」と侍れば、両親は、今現れた青年が自分の息子を先生と言って侍ってきたので、自分がその人の前で「お前!」と言えないのです。

 「なぜ息子のことを先生とあなたたちは言っているのか」。

 「ええ、立派な人で、兄弟に尊敬されているし、こういう内容をもっている」。

 「ああ、そうですか」と、友達を通じて自分の息子がああいう内容をもっている、社会的信用をもっていると思うのです。直接に行けば、外的に血統的に見るから無視されてしまう。霊的に相当損をしてしまうのです。

 マルタは目に見えるもので判断したのです。ハムもお父さんの裸になった体を見て、その原因を知ろうとしないで、ただ外的に見たから恥ずかしくなったのです。それも同じ考え方です。今まで尊敬していたのなら、酒に酔ったお父さんを見た時も、尊敬しながらその理由を知ろうとしたなら、ハムは失敗しなかったのです。

 「なぜ今まで飲んだことのないお父さんが飲んだのだろう。今までのお父さんと、全然違ったきょうのこの結果が現れたのはどういうわけだろう。神様から何か啓示を受けてなのか、私たちに原因があるのか、お父さん自体が酒が好きになってそうなったのか。これはどういうわけなのだろう」。こういうふうに分かろうとすれば、失敗しないのです。

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 次回は、「環境に支配される人」をお届けします。


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