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心情開拓
心霊を育てる生活原則(119)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

8 永遠に生きる信仰

▲李耀翰先生

軽々しい判断

 ほとんどの男性の考えを、ユダが代表的に発表したのです。男性たちは、自分が今まで真剣に考えてきたという情の土台の上で判断しないで、ただ環境を見て軽く判断したのです。

 また、女性の代表として、マルタは過去に暮らしてきた自分の基台の上にイエス様を知ったつもりで、今信じているのです。初めてイエス様に会い、み言(ことば)に触れた因縁でイエス様を信じ、ラザロを復活させたとか、以前の説教によって刺激を受けたとかいう因縁で、今付き合っている。だからマルタは過ぎ去ったイエス様は知っているが、今のイエス様は知らないのです。

 「マリヤは今のイエス様を知っている。現在というところで実感して、イエス様の悲しみを痛哭(つうこく)している」。これが、永遠の価値のある因縁を結んで、永遠をもって暮らすことです。今までの情のレベルを高めながら暮らす人が、永遠性をもった人です。

 「マルタは以前の因縁をもって、今早くイエス様に侍りたい。疲れて帰られるのを見て、イエス様の内容を知らないから、外的に仕事ばかり一生懸命やる」。これは過去に暮らしているから、過ぎ去ると恥ずかしくなってしまうのです。

 「律法主義者、祭司長なども、モーセを信じ、アブラハムの子孫だと思っている」。これも、今に生きていながら昔を考えて信仰しているのです。

 今、既成教会も2000年前のイエス様を信じているのです。歴史的人物を崇拝して何になるのか? 目の前の人をイエス様のごとく愛さないと、今の人間ではないのです。今の人間を歴史上の人物より以上に貴重にする人は、未来を開拓できる可能性のある人です。未来が問題なのです。今までの因縁をもって今の自分を取り扱ったら、過ぎ去った人間になってしまう。「今」というものを相続できないのです。

 カトリックは、現世にいるようではあるけれども、2000年前の旧約時代の信仰をもっているのです。だから彼らは今の時代をつくるものではない。死ぬと2000年前、旧約時代の霊界へ行くようになるのです。行ってみるととんでもない所へ行った。イエス様は現れなかったというのです。旧約時代の儀式を貴重にして厳しく守ったところが、1971年には地上にいたけれども、霊界ではどこへ行くかというと、2000年前の霊人のところへ行くのです。なぜなら、その時の信仰をもっていたから、それは当然です。

 未来を信仰した者は永遠に生きるのです。だからイエス様とかヤコブは今も生きているのです。永遠の価値をもったから、神の摂理が勝利し、成し遂げるまで、ヤコブは生きてイエス様と共に仕事をしているのです。今、地上の摂理を共に行っているのです。なぜなら、その心情はいつまでも、地の果てまで影響力があるからです。

 私たちは、例えばけさ、何かの新しい情を実感して暮らせば、未来に暮らしている人だけれども、きのうの因縁によってやむを得ずけさ出発した人間は、もはや過ぎ去った人間になってしまうのです。

 このことをよく知らなくてはなりません。三人の中のマルタは、過ぎ去った信仰をもち、初めてみ言に触れた時の因縁によって喜んでいるから、きのうのイエス様は知らないのです。私たちもそうではありませんか? 朝皆さんが別れて再び集まる時には、朝は知っていたけれども、きょう一日どんなに神経を使って帰ったかを知らない以上は、知らずに会っているのです。別れてから会うまでのその内的心情を知らないから、自分は謙遜(けんそん)になって本当にその人を貴重に思いながら交わろうとするのが、本当の、永遠に内情的に交わる食口(シック)なのです。

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 次回は、「マルタの見方」をお届けします。


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